音楽の過度な修正と掛け女性の自撮りと解く?

レコーディングをしてると、本当に神経質に過度に演奏を修正することがあります。要求されるのでやるしかない時があるんです。(笑)

パンチイン(部分的な演奏の録り直し)ならまだしも、波形編集もします。音符を1/1000秒単位で動かしたり、コピーペーストにドラッグ&ドロップに。

いいんですよ、みんな個人の勝手や考え方なんで。

で、仕事柄その過度な修正についていつも考えるのですが、そこでいつも頭に浮かぶのは「女性の自撮り」なんですね。

全然違う顔になってる。たしかに綺麗になったとも言えるけども不自然だしみんな似た顔になってくる。

「男性ましてやあなたのためにやってるわけじゃないから!」

たしかに。そりゃそうだ。

(笑)

けど、今では自撮りの顔に見慣れてしまった状況でオフラインで会うことになることも多々あるとして、そういう時どーするんだ?って事があるわけじゃないですか?

女性同士ならまぁ普通だと思うのですが、女性が男性に会う場合。

「全然ちげー!詐欺じゃん」

ってことになると思うんです。

そこで考えたんですが、女性ってとにかく他人に特に意見を求めないんですね。聞いてもらいたいんです。で認めて欲しいんです。

相手が男性ならなおさらだと思われます。

で、自撮りでモリモリだっのを会った時にがっかりしてはほしくないんですね。そこはやはり。

実際は「ありのままを認めて欲しい」んです。

つまり、自撮りのモリモリは承認欲求を強く満たすための更なる助走なのではないかなと最近思うんですね。

まぁ、自撮りをモリモリするような女子との関わりはほとんど皆無ですけどね。スネア女子ではそういう方に頼むことはないですしね。(笑)

この、スネア女子なんてのをやっていると女性はどう見られたいのかというのをとても意識します。

考えてみますとそれって、

「自分の音楽はどうありたい、演奏をどう聴かせたい」ってのとかなり心理的にリンクしてきます。

レコーディングではまつげの一本のちょっとした乱れを気にするかのごとく、一音一音を気にしてしまう。

けど、あなた、女性を見つめる時そんなまつげ一本一本を気にします?

トータルで見ますよね?そもそも完璧なんてないですし。

ただ、女性の「自撮りの写真とは実際は違うけれど、私を心の底から承認してほしい、認めてほしい」というのと、「レコーディングは編集モリモリで上手く聴かせてるけど、ライブは下手くそ」ってのとでは、それは少し違うんじゃないですかね。

自撮りは極度にプライベートなモノですが、レコーディングやライブはもっとパブリックなモノですからね。

今回の話しから特に導かれる答えはないのですが、音楽の修正とはなにかを考える時に参考になるのが、この女性の「自撮り写真」かと思います。

時空が乱れていようと美しくありたいという感性すら、美への憧憬の本質なのは間違いないのですから。。。。

音楽にも美は大切なので。ね。

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コロナでわかったこと

緊急事態、一応明けましたね。いががだったでしょうか?

(レビュー系のブログの最後の段落に多く使われる”大嫌いな”このフレーズ。使ってみた)

この緊急事態下において日本のあらゆる技術や施策が世界でもトップレベルで遅れている•稚拙であるというのが証明されてしまいましたね。(“公の発表”を基にすると”結果オーライ”的に罹患者や死者が少なかったされる点はここは触れません、てかまだ終わったわけではない(笑))。

マスクが普通に流通しだして緊急事態が明けるころに届いた”アベノマスク”がその象徴的な事例でしょうか。

(笑)

このアベノマスクですが、将来価値が出ると思うんで取っておきます。

閑話休題。

日本人は文明開化の頃から始まり近代ではいわゆる”戦後”においても、海外から入ってくるものをどう模倣し、そして効率を上げてさらに良くしていくかってことをやって来たわけです。

音楽もそうですね。

けど、いい加減、他を模倣するのやめませんか?もう模倣で世界に追いつくことは出来ないんですよ。ましてや追い抜くことはできない。

上手く言えないんですけど、たしかに日本的な右倣え忖度文化がコロナを抑え込んだってのは間違いないとは思いますが、それは結果オーライです。

良く考えてみて下さい。それはたまたまマイナスを小さく抑え込んだだけなんです。

これからまたコロナ後の平時にもどり”生産”をしていかなくてはならなくなった時に、その右倣え忖度文化は世界で通用しません。一から価値を作り出さなくてはならんのですよ。

皆さんこのコロナ自粛で色々漠然と考えたと思うんです。僕は考えました。考えようと思わずとも考えた。

日本人はとにかく新しいことが出来ない、しようとすると周りの反発を喰らう。

例えばソニーが音楽においてアップルに負けたのはipodを端緒とした音楽のデータ化、そしてデータでの流通化そしてサブスプリクション化を見越せなかったからです。(CDはソニーとフィリップスの技術なので、それに固執してしまった)

確かに音楽文化全体を見た時に当時、「CD売れなくなったら元も子もないよね」「CD無くなるわけないよね」ってなるのは仕方なかったかも知れませんが。

例えば日本はオンライン授業が殆どされませんでした。インフラがないから。

世界中のかつて日本がイキってた時に「後進国」と言ってたようなアジア各国でも結構それをやれてたらしいのにですよ。

なんで日本で出来ないかっていうと、根本的にIT分野の技術が遅れてるのに加えて、

「パソコンやネット環境がない家庭もあるんだ!そういう人の事を考えろ!」

だそうですわ。(笑)

なんでこう右倣えで人のことばっか気にして「〇〇すると申し訳ない」「みんな〇〇だから我慢する」「みんなと違うと〇〇だ」、、、となるんでしょうか?

こういうメンタルは音楽をやる時ドラムをやる時にも関わってると思うんですよ。

真に誰もやってないことをやろうとする人が殆ど居ないです。

世界のトップクリエイターやミュージシャンは「世界で誰もやってない事や表現」を「作り出して」いますが、日本人が主にやってることは、「世界の最先端を”探し出してきて”誰よりも早く模倣する」事でしかありません。

だから音楽にしても10年遅れてるって言われるんですよ。「探し出して」「模倣する」だけに10年掛けてるんです。(笑)終わってる。てか、始まってない。

とにかく世の中の〇〇ぽい、〇〇にソックリってのはもうウンザリです。

そういうのは高校生や大学生だけでよい。

みんなで〇〇ってのもウンザリ。

ツイッターを自粛したのもここなんですけど。

〇〇っぽさをさらに進化させた!ってのもウンザリです。

もう独自の事やりましょうよ。

レコーディングの仕方やミックスの仕方、楽器のチョイスやドラムのチューニングひとつに至るまでどんな些細な事も世界に追従するってのはやめませんか?

〇〇のプラグインのシミュレートがすんげー本物っぽい!いや本物を超えた!ってのもやめましょうよ。

フィルターでフイルム写真ぽくとかってのもやめようよ。

本物のフイルムのほうが、いいよ。

てか、俺自身あなた自身が本物になろうよ!

今日なんかの記事でホリエモンが言ってるのが目に入りました。

「これからはひたすら遊ぶやつが稼ぐ時代」

だと。

他人の真似して楽しいですか?それは楽しい遊びですか?ひたすらやれてますか?

「24時間遊べますか?」

俺は寝てる時も音楽とドラムと写真の事を考えてます。

だからこの時間帯(4:15)に突然目が覚めブログを颯爽と書き始めたわけです。(笑)

それでは二度寝します。

次回のブログは

「感性の格差社会」について書きますのでお楽しみに。

Nikon FG-20 w/Ai Nikkor 28mm f2.8s 、fujifilm PRO400H

Nikon FG-20 w/Ai Nikkor 28mm f2.8s 、fujifilm PRO400H

コロナにおける音楽の二極化の「戦い」。

コロナによる音楽の二極化。

今の人と会っちゃだめ接しちゃダメという状況。まさに音楽にとって殆ど死を意味する訳です。

音楽って一人でやるもんじゃないんですね。例えソロ演奏だとしても聴く人が居て成立するわけですよ。音楽の本質としては。月下独唱月下独奏とかでない限り(笑)

今、音楽家は二手に分かれてるとおもんです。この時代を乗り越えて音楽の在り方や形態の進化を模索していこうという人。(素晴らしい取り組みです)

逆に、この状況だからこそ音楽の本質を極める事に徹して静かにコロナからの夜明けを待つ人。

つまり、オンラインや遠隔でのアンサンブルやライブの手法を模索して実践してる人と、ひたすら練習したり音楽そのものを探求してる人。

僕の考えはこうですね。

やっぱり音楽ってリアルでの演奏、顔を付き合わせてのアンサンブルが本質なんです。当たり前なんですよ。新しいことをやろうとすればするほどその本質の尊さに皆気がついて来てると思うんです。

電子ドラムで頑張ってみてもそりゃ生ドラム叩きたくて仕方なくないですか?

音楽の在り方や演奏の本質から強制的に引き離されてしまっている音楽家、ミュージシャン。

音楽の有り難みが分かってきてるのではないでしょうか?

こういった感覚はこの騒ぎの後、正常な生活に戻った時に音楽の作り方や、レコーディングの考え方にフィードバックされるはずです。

生演奏の素晴らしさ、人が人と演奏することの尊さ。生音の素晴らしさ。「オフライン」でのリアリティの凄さ。

俺はどっちかというと静かに練習に勤しむほうがいいのかなって、思ってしまいます。

今、練習しまくってレコーディングを無修正一発オーケーっていう当たり前の事が出来る「最高の演奏家」になるチャンス違いますの?今。

日々の生活の為がどうとかとは関係なく、音楽の本質の意味で。

音が悪くて質の粗い動画なんかもう見たくないんですよ。

あなたの生の音、生の音楽が聴きたいなぁ。。。

早く死んで欲しい。コロナ。

※オンラインライブ配信等のご相談承ります(笑)

オチかい。

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ビューティプラスを使うのか使わないのか?

トリガーを使うのは敗北であるという強い感覚を意識的に持つ必要性について書きますね。

いわゆるトリガー。ドラムにセンサーを付けて音源を鳴らすやつですね。

今はDAW上で時間軸を完璧に合わせて貼り付けるのも非常に簡単です。

もとはモトリークルーのトミーリーあたりがやり始めたと言われてますね。

日本では聖飢魔IIが既に1997年に発表した「NEWS」で使用したらしいというのを、ベーシストのゼノン石川さんのベースマガジンでのインタビューでの「ドラムの音は色々エンジニアさんの秘密の必殺技があるみたいです」という発言が記憶にあります。(おそらく聖飢魔IIのトリガー使用はこの作品のみと思われる)

同アルバムのエンジニアリングを担当したビクタースタジオのUさんにお話を伺おうとしましたが、こういう質問はタブーとは言いませんが、聴くのは個人的にはナンセンスだと思うので、結局確認はしてませんが。(Uさんはハードディスクレコーディング黎明期に日本で誰よりもいち早くPROTOOLSを導入した方なので、おそらくやっているでしょうね。ただ「NEWS」は録りは3348で落としはSSLだったと仰ってましたので、いわゆるMIDI同期トリガーだと思われます。ちなみのちなみにUさんは今はマスタリングに転身され僕もたまにお世話になりますが、今飛ぶ録りを100羽を落としたであろう星野源さんのマスタリングを担当されてますよ。

閑話休題。

で、そのトリガー。ライブでの使用はそのステージ上の過酷な音響環境により使わざるを得ない場合があるのはある程度仕方ないのですが、問題はレコーディングですね。

モトリークルーのころのドラムセットに比べて最近のドラムセットではやはりそのアタックだったり粒立ちの感じは格段に進化しています。

最近では復活したSAKAEのおそらく初のレコーディングの現場をやらせていただきましたが、そのアタックの速さと粒立ちの良さはもうトリガーの音そのものみたいな感じで、かなりの衝撃を受けた記憶があります。

普段はEQは絶対せずにレコーディングしますが、やっちまいました。そいつの世話になっちまいました。

あまりにトリガーっぽすぎの音で扱いに戸惑ってしまい。。。(笑)

まぁそれはどーでもいいのですが、ドラマーたるもの•漢たるものトリガー前提でレコーディングするのはちと違うんではないかと。楽器を選びヘッドを吟味し、チューニングを緻密にし、己のショットを安定させしっかりドラムに向き合えばはっきりいってトリガーなんて必要ありません。適切なミックスによりあの音にすることがちゃんと出来ます。

しかも、ミックスではむしろドラムそのものの音をどうこうするより、ベースやギターの処理が肝になってきます。それらの楽器の帯域やダイナミクスをドラムをキーにコントロールしたりすることも必要になることがあります。

なによりもメタルに限らず、ドラムを出発点とした音色の相互設計と演奏そのものをしっかり行うことにより「トリガーを使用しない」ということが可能になります。

そういった樋口宗孝さんや工藤義弘さん等の往年の男気のあるドラマーになるためには(そりゃスピードや打点は今はもっと現代的にはなってきてはいますが)、ドラマーの基本とドラムの基本に立ち返るべきです。

トリガーなどという「Beauty Plus」に頼るのは肌や顔に自信がないということに、限りなく近いわけですよ。

そんなドラマーはかっこいいか悪いかってえと、僕はあんまり好きではないかなぁ。

no Beauty Plus

no Beauty Plus

バンドのデビュー盤というのは何故音が悪いのか?

古今東西、今も昔もバンドのデビュー盤というのは何故か音がわるいことが多い。だいたい酷い(笑)

それは一体なぜなのか考えてみました

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参考ブログ

X (エックス)の『BLUE BLOOD』は何故あんなに音が悪く、名盤なのか。

https://www.edo-mae-recordings.com/blog/2019/6/4/x-blue-blood

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まず、それはもちろん予算の少なさによる機材やスタジオのクオリティもあります。

しかし、それよりデカイ原因があるんですね。

それは”バンドとは「我の集まり」であり「オレが俺が!」の集まりである”という事が大きな理由じゃないかと。

経験のないバンドがファーストレコーディングに臨むと、楽曲のアレンジやミックスがあれもこれもの「全部盛り」になってしまいやすいのです。そりゃぐちゃぐちゃーってなっちゃいますね。

もちろんその全部盛りが「勢い」として作用している名盤も沢山あります。何よりファーストは「勢い」が魅力ですから。

レコーディングによっては「プロデューサーの不在」も関係するかもしれません。例えば全部自分らでやることが多いと「統率する人」がいない場合が多くなります。つまりさっきの「オレが俺が!」状態が顕著になるわけですよ。

かつてのメジャーの現場では

ディレクターさんがしっかりプロデューサーの役割を果たしていました。会社の肩書き上はディレクターであっても、実質は現在でいうサウンドプロデューサーであり、とても音楽に詳しくまたメーカーによっては元は有名バンドのメンバーだったりした人がディレクターをやってました。(1990年代ころから外部の専門のプロデューサー立てるということが少しづつ一般化してきます。小林さんとか佐久間さんとか。。。)

つまり経験豊富な人が新人バンドやアーティストをしっかり”指揮っていた”んですね。それが特に最近はディレクターさんは昔でいうところのA&Rの役割になってしまい、どっちかというと事務方というかあんまり音楽に詳しくなく、また、一人で10アーティストとかを抱えてたりするので、現場には来ないわ発言ほとんどしないわという状況がかなり多いんですね。それでここ10年ぐらいはレコーディングのクオリティの低下がさらに顕著になってる気がするんです。(今回の話題でいうと新人の現場のことですよ。ベテランの現場はまた別です。)

話は戻りますが、バンドはギタリストが発言権が強い場合が多いですが、その場合も悪い音になりがちです(笑)やたらギターを大きくしたり痛々しい音にしたりしがちですよね。

で、またそれに抗うためバカの一つ覚えでドラムにハードコンプしたり(笑)本来はこの辺を経験の豊富なプロデューサーがメンバーも音も捌くわけなんですがね。

それと音が悪くなる理由のもう一つが、クレジット上プロデューサーやエンジニアが外部の人でありそれがプロだとしても、新人にはそこまで「思い入れがない」ので「こなし仕事になる事がある」という点です。「ギャラが少ないから」というのもあるでしょう。(自分が見つけてきた引っ張ってきたみたいな場合は除く)

だから予算がなく時間も足りないのとも相まって「早くおわらせよー」ってなり雑になるんすよ。(全部が全部そうだとは間違っても言いませんよ。ちゃんとしてるところもたくさんありますから)

「めんどくさいからとにかく全員のいうこと聞いといたろ」「なんかヤダけどまあこれでいっか」みたいなモードになりやすいんですよ。新人の現場は。偏見すか?(だから全部とは言ってない)

ただ、一流のプロデューサーやスタッフは例え予算や時間が足りなくても、自らのギャラが少なくとも、バンドがどんなに未熟で機材がショボくても素晴らしい「作品」に仕上げるものです。その未熟さや環境の悪さすら「魅力ある音楽性の要素」に昇華させることが出来るんです。

そして残酷なのは、結局のところ環境が悪くともそのプロの一流のワザを引き出すのは結局は「バンドやスタッフのポテンシャル」や「本気度」や「真面目さや人間性」になってきます。

「金がない」のは百も承知だとして、ケチってたりセコかったりする雰囲気がプロジェクトに蔓延していると絶対いい音にはなりません!

つまり最終的には、バンドメンバーもプロデューサーやスタッフも「音楽に対する真摯さ」が何よりも大事になるんです。

そして制約のある環境であってもお互い何より、引き出し引き出されること。これがレコーディングには大切です。

経験のない人のセルフレコーディングが上手く行きにくい理由もこの辺にありそうだというのは、言うまでもありません。

音は粗いけど音楽として素晴らしいというのは新人にしか出せない特権でもあります。

しかし。音が粗いだけ悪いだけのモノとそれとは雲泥の差があります。

もちろん音がいいのに越したことはないですが、音が悪くても成立するいい音楽とはなにかをたまに考えてみたりするわけです。

もちろんいい音にするのは当たり前なんですけどね。

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こんな時にこそ考える音楽や芸術文化のいみ

こないだ撮影を兼ね京都の浄瑠璃寺というところを訪れた。いわゆる下界とは隔絶したかのような古刹。早春のその敷地にはネコ達が溢れてい、その広大な境内は無人でほぼ貸し切りであった。

正式名称は「九体寺」である浄瑠璃寺。その”いわれ”には詳しくないが、おそらく極楽寺浄土を模したであろう境内の設計。

その本堂では九体の仏達と対峙したのだが、そこで大きく感じたのは芸術や宗教の意味だ。

その九体の大きな仏達を前にした時、安っぽい言い方をすると「敬虔な気持ちになる」「ちゃんとしなきゃと思う」「嘘がつけない気持ちになる」「周りの人を大切にしよう」そして「コロナの騒ぎが収束してほしい」という純粋で不思議な気持ちであった。

この全てが抑圧された、にっちもさっちもいかないみんなが苦しい時にそんな観光をとも思うのであるけれども、その時そういう気持ちになれたというのは貴重だと思った。

その浄瑠璃寺の九体の仏に限らず、どこでもいい、御寺で仏像を前にするとそんな気持ちに皆なるであろう。

例えば大聖堂や教会の、天井が高く祈りのうたのその良く響き、ステンドグラス越しに光る”天上”のひかり。それもまさしく神を表したものである。

人間の最大の発明である音楽や芸術文化や宗教の意味とそのチカラ。

浄瑠璃寺でのほんの10分程度のその仏たちとの対峙。生活の中でのほんの僅かなその心の余裕が、例えば「マジで頑張ろう」「人の為になろう」「楽しく生きるように努力しよう」と心の底から思わせるという。

音楽はこんな時になんになるんだ、と言われて今苦しい時ではあるけれども、音楽だけでなく文化•芸術、例えばお笑いでもいい。ちょっとしたしかし明日への根本的なチカラになるそういった生活の中の些細かもしれないモノにこんな時に接してみて、やっぱ「そーいうモノって大事なんだな」って。

音楽そして文化活動に関わる皆さん、そして烏滸がましいいかもしれないけど” 俺”も。

必要とされてるんです。大切な事なんです。今はあまりにも”その真っ最中”なだけなんです。

けど、世の中で最も大切な事は「こういうこと」であると尊く感じられる時期が、今を乗り越えれば絶対また来ると思って今は密かに自分を高めて行こうではありませんか!?

苦しい今をきっと乗り越えた先の”日常の極楽浄土”に思いを馳せて

ビールぐびぐび。

京都浄瑠璃寺三重塔見上げ Nikon F、kodak colorplus 、zeiss planarT* zf f1.4

京都浄瑠璃寺三重塔見上げ Nikon F、kodak colorplus 、zeiss planarT* zf f1.4

資料・記録を残さないという良さ。(政府や行政は残せよちゃんと

ツイッターに「マスタリングでは何が行われてるかよくわからない部分があってそれはマジックで、秘匿さがまた音を良くする」みたいな事をかいたのです。

実際一流のマスタリングでは「何をどうしてるのかホントによくわからないい」もんです。

スタジオやエンジニアさんで機材の選定や接続、その操作方法が全く違うんですよ。

確かにEQやコンプが基本となり、周波数特性やダイナミクスを調整してるのは間違いない。

けどその細かなレシピが謎なわけです。人により全く違う。
正しいとか正しくないとかの定義がない。音が全て。(酷い音にしてくれちゃう人もいる←一言多い)

けどここで「何をどう使ってるんですか?」って聴くのは本当に不興を買います。企業秘密なので教えたくないとかそういうことではなく、そういう事を聴くメンタリティがなんかこう、なんつーの?ダサい(笑)

料理するにも目分量ってのがあって砂糖を塩を小匙何杯で、というのを守ったからその味になるわけじゃないというのがあります。

デジタル写真にはEXIF情報ってのがあって、何のカメラでレンズは何で、シャッタースピードや絞りは何でその他諸々の設定は何で、何時何分に撮影されたか?が全て残ります。GPS機能があると場所も記録されます。これは全てEXIFってメタ情報なワケですね。

もうお分かりでしょうが、それらを一緒にしたからって同じような素晴らしい写真になるわけがありません。

楽器の選び方もそう。同じドラムで同じヘッドで同じスティックで叩いても同じになるわけないんです。

ペダルにしても足のサイズや構造が人によりマチマチですから必ず私にも合う、なんてことはない。

ところで、江戸前ではいちいち何のレコーディングで何のドラムをスネアを使ったとかをあえて覚えておかないようにしています。単に記憶力が低下してるというのもあるけど(笑)
〇〇を使ったから〇〇な音になる、という訳はないしその先入観によるチョイスが音の可能性をかなり狭めるのです。

同じように写真でもEXIFが残らないタイプのマニュアルフォーカスのレンズばかり使ってます。どのレンズを使って撮ったかが最終的にはわからなくなる。そうすることにより後でその写真を見返した時、そのシチュエーションや光の具合、モデルさんの心持ちなどに想いを馳せることが出来、写真てのは機材で撮るもんじゃないな、という思考に持っていけるわけです。(笑)

〇〇のレンズで〇〇の設定だったから撮れた!というのではないし、そもそもそういう情報はつまらない。

その時の自分の感性で撮る事が大切だし、写真にもそして音楽にも深みを与える気がします。

蛇足ですが、江戸前ではピッチ修正をグラフィックモード(グラフや数値で調整していくモード)では絶対やらないですし、ドラムの編集も絶対グリッドを参考にしません。絶対耳で合わせます。
升目に合ってるから音楽的に正しいとは全く言えないからです。また升目に合ってるから「合っている」と思い込むことが最も危険。

それは「ネットで見たあの情報、あの設定、あの使い方」と一緒だから正しい。とか、果ては「〇〇さんと同じ機材だからいい音」というような全く滑稽な価値観と地続きですらあります。

「どうしてそうなのかが分からない。けど良い。」
「俺の感性がいいと感じる」

という部分が大切で、今最も蔑ろにされてる部分です。

数値の設定だけで何かをやらせたらAIに負けるに決まってるんでね。

そういやディープフェイクのAIによるAV凄いよね。(笑)

あんなの音楽に応用された日にゃ。。。。

“スネア女子アウトテイク” OLYMPUS PEN EE-3 FUJIFILM SUPERIA EXTRA400 京都錦市場にて撮影

“スネア女子アウトテイク” OLYMPUS PEN EE-3 FUJIFILM SUPERIA EXTRA400 京都錦市場にて撮影

何故ドラムの音が悪くなるのか

何故ドラムの音が悪くなるのか。

はっきり言って、というかいつも言ってますが日本において世の中のドラムの音はかなり悪いですね。ここではあえて録音物に限っていいますけど。

じゃーなんで音が悪いのか。楽器なのかチューニングなのか、奏者なのかマイクなのか。

ここではそれらは全て割愛します。

なんでドラムの音が悪いか?それはレコーディングエンジニアのエゴである場合が非常に多いです。

ドラムの録音やミックスに際して

「俺のチカラ(マイキングテクニックやコンプやEQを自分らしく操作し、処理することによって) で更にドラムをいい音にしてやるぜ!(ドヤ顔)」ってのが非常に!多い。

断言すると、だから音が悪くなるんです。

余計な事すんなよ。

必要ねえよ。お前のカラーは必要ないんよ。

ミュージシャンでもほんとに多いのが

「俺らしい、独自の(フレーズとかアプローチ)演奏で曲を良くしたい、ライブを良くしたい」ってのが前面に出まくってる人が多いんですね。

結局音楽じゃなく「自分」なんすよ。

その割にみんなおんなじような演奏、おんなじように音が悪く、おんなじようなフレーズで、さらにおんなじ事に手こずっている(笑)。

そもそも「個性を出そうとすること自体がもう没個性の実態である」

ということに気がつかないと。

とにかく音楽の本質や楽器の本質(過去のいろんな人が成し遂げた)をとにかく見つめなおして、普通の事をする。


それがドラムの音を良くすることであり、音楽を良くすることだと思う。


そしてそれをやってる人が極端に少ないので、それをやれば物凄い個性になるんですよ。


自分らしさなんてその後に考えたらよろしい。いや自分らしさとは考えて出てくるものではなく、日常どんだけ真面目に音楽に(本質を考え続けて)取り組んでるか、そこからしか出てこないんだよね。


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バンドにおける個人レコーディングの最大の罠

セルフでの「自宅個人」レコーディングの最大の弊害について説明しましょうか。

最近多いのは、みんな別々にレコーディングするってやつですね。

これの最大の弊害は何か知ってますか?

それは

「もっとも低い評価基準でレコーディングが進む」かも知れない、ということです。

本来レコーディングは客観性が大事です。また、プロジェクトとしては客観的な視点のある適切なプロデューサーやディレクターのある種の強権的な役割を必要とします。

しかし、自宅での個人レコーディングでは、あくまでもその演奏者だけの評価基準や価値基準でレコーディングが行われてしまいます。

要するに

「本人がよければオーケー」ってやつです。

その本人が本当に上手くて経験のある人なら全く問題ないのですが、その逆ですと全然ダメなテイクがオーケーになったりします。ほかのメンバーなどの他人の意見が入らないからです。

結果、各メンバーのレベルの違いがテイクに現れて、非常にいびつで演奏として纏まりのないものになる可能性が高いのです。

「お前、それあかんやろ!」という意見もないし、

逆に

「この演奏がいい!これが最高!」

というのも起きない。

まったく持って相乗効果のない、アンサンブル性のないつまらない音楽になる可能性が高いんですね。

要するに噛み合ってない演奏。誰がいい悪いではなく。

そんな”コント”、誰が見たいと思います??

ソロの落語とかならいいっすけど。

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セルフレコーディングの難しさ。(江戸前例)

ウチでのレコーディングの中でも江戸前のプロデュース案件というのもあります。

僕がエンジニアだけやるのではなく、アレンジからミックスマスタリングまで、レコーディング全体のクオリティや進行の全責任を持ってやるタイプの案件ですね。

その中でも難しいのは

「ベースも同時に弾く」案件です。

江戸前のプロデュース案件ですとドラマーの選定が最重要でありますが、レコーディング現場でも楽曲に合わせた楽器の選定、チューニングの追い込みが最も難しいことです。さらに演奏のディレクションやジャッジに物凄く神経質になり労力を使います。

ここで「ベースも弾く」ってのがありますと更に大変なのです。

譜面はほぼ初見の事もありますし、何より当たり前ですが演奏もちゃんとしなくてはなりません。

(ベーシストのプロデューサーと言えばもう有名なのはとにかく亀田さんや佐久間さん、根岸さんなと沢山おりますが、当然エンジニアまでやりません。やらないほうがいいんですよ。クオリティコントロール的には。。。。)

というわけで、ドラム周りや他の楽器に関して通常のエンジニアリングの範囲の仕事ですらパンパンなんですから、ベースの事まで気が回らないことが多いんですよ。※ドラムのマイキング”だけ”は泥酔しててもできますが。

なので、「さあ!やってみっか!」

って段になってベースのチューニングを一切してなかったとか、ベースは繋いだだけで音確認すらしてないだったりとかも珍しくありません。

酷いのはチューニングメーターを忘れてスマホアプリの「音叉」でやる羽目になるとか(笑)

※江戸前レコーディングスでの意外な落とし穴が、チューニングキーとチューニングメーターが無い!!です(笑)

だから、レコーディングのエンジニアでもないバンドさんがリハスタを借りて自分らで慣れないマイキングをしてちゃんと音を決めてさらに演奏してなんて

「よーく出来るよな、すげえな!」

って思うわけですよ。


そりゃマトモな音になる訳ないですわ。


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生ドラムに挑戦する第一歩に。。。

先程お客様からお電話でお問い合わせを頂いて、「ラジオドラマとかを作りたいので、脚本家や声優さんをキャスティングして頂き制作全般のディレクションと、音響エンジニアリングをしてほしい」と、ありました。


面白そうなお仕事ですし、ASMRなアプローチで音声にリアリティを出すというのは難しくもやりがいがあることですが、

「脚本家さんや声優をキャスティングする」のは、江戸前レコーディングスでは出来ない訳です。人脈がない。

録音部分は責任持ってやれますけど、そこは難しいですねと。


さて、閑話休題。


打ち込みで音楽を作ってる方々でも実は生ドラムに差し替えたいという人が多いと聞きます。しかし前回のブログに書いた通りにドラムレコーディングの全ての段取りと実作業を自分だけでコーディネートしプロデュースすることは非常に難しいでしょう。予算含め。


その音楽に適した(演奏能力やギャラの面)ドラマーを呼び、ほしいプレイに適した楽器を用意し、イメージ通りいやそれ以上の演奏をしてもらう。

それには、楽器やレコーディングの知識だけでなく「ドラマーさんとの音楽的対等性」が非常に大切になります。


どんな著名なドラマーさんを相手にしても敬意を払いながら、しかし音楽を対等な立場で良くしていこうという自信や気概が必要になります。


ドラマーにしてみても、「自由にやって下さい」、でももちろん演奏できるでしょうが、もっとどうして欲しいのかを伝えて欲しいものなのです。

しかしそこに専門的な用語などはほとんど必要ありません。(しかも細かい打ち込みデモもむしろ必要ありません。基本のビートだけ指定してあげればよい。)


例えば「もっと大きな感じで」とかでいいんですね。「ハイハットはロジャーテイラーみたいなビシッみたいなのがいいです」とかでもいいですし。

時には「サビ前は突っ込んで次はタメて欲しい」とかも必要かもしれませんが。Aメロはボンゾ的でサビからコープランドの雰囲気とか、そーいうのでも良い(笑)伝わればよい。



要するに、どういうドラムプレイが欲しいのかをしっかり伝える必要があるんですよ。あとどういうサウンドが欲しいのか。その音楽や楽曲におけるその演奏の意味であったりとか。


もちろん「あなたのプレイとサウンドが好きすぎるので呼びました!」でも場合によってはいいでしょうが。


なので、江戸前レコーディングスでは次のようなご相談ももっと大々的に受けたいなと。もとからやってはいるんですが。

「自分のプロデュース楽曲(メジャー・インディペンデント・趣味問わず)に素晴らしい生ドラムを入れたい!」

のご相談に喜んで乗ります。

様々なランクのドラマーの手配(TOPプロから若手まで)からサウンドプロデュースやディレクションも承ります!


もちろんお金はかかりますけどね。


予算含めご相談下さい。

「最高の生ドラムサウンド」を納品します。


ドラマーは楽曲に飢えてます。

トラックメイカーはサウンドに飢えて、いて欲しい。

↓江戸前で絶賛売り出し中の伊藤嵩くんです。

図太いサウンドやリニアなビートが欲しければ全ジャンル対応します。

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何故打ち込みドラムが減らないのか

いろんな音楽を聴いてますと、

「これ、生ドラムでやったらいいのに」

ってのが本当に沢山あります。


生ドラムを使わない理由としては

まず「金がかかる」。

ま、たしかにスタジオ代がかなりかかりますね。ドラマーのギャラも必要なので最低一曲10万はかかるでしょう。


あと、これがデカイと思うのてすか、

「制作のスピード感に合わない」

だと思います。

トラックメーカー達はどんどん机上で物凄いスピードで曲を作っていきます。

ビートに関してもどんどんフレーズが浮かんで来ては変えて行く。

そのスピード感に生ドラマーを呼んでるのでは間に合わないわけです。


これはデカイ。



しかし!!

最も重大な理由を見つけました。

それは

「理想のビートやグルーヴやサウンドを出せるドラマーが身近にいない」

これですね。


どうですか?

金や時間の問題もあるけど、どうですか?


けど、スピード感も環境もグルーヴもサウンドも全て身近な手の内にあって自由になる人もごくまれにいます。


クエストラブあたりのプロデューサーがそうですね。プロデューサーてかドラマーか。


ドラマー自体が、もっともっと

「呼んでもらえる」

ドラマーにならないと打ち込み率が下がる事はないでしょう。


しかし!


世の中のドラマー達がそんなに下手でクリエイテビティに乏しいかというと、それも違う。


トラックメーカーのあなたがレコーディングスタジオでの作業において

「理想のサウンドやグルーヴを得るためにディレクションをする能力がない」

のです。エンジニアへの指示も含めて。

もっとトラックメーカーさんはドラムとドラマーを知りましょう。



“もちろんドラマーは「音楽を知り」ましょう。。。”

そして、やっぱり「生ドラムにしてよかったわ!」

とか

「お前(ドラマー)に頼んで正解だったよ」

というようなシーンを沢山作っていこうではないかい。。。


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高域が聴こえてない人が高域を出しすぎる現象について

先日シンバルを沢山並べているショップで片っ端から色んなメーカーのシンバルを叩いておりますと、それぞれのメーカーに特色がありどれも素晴らしい音を出していたのですが、一つだけどうしても気になってしまうシンバルメーカーがありました。


どの製品でも超広域がスパっと『いなかった』のです。


イメージとしては15KHzより上がスッパリいない感じです。

しかし、その代わり7K-11Kあたりがやたら出てるんですよ。


そのメーカーのシンバルが全てです。


この状況から予測できるのは、

「ああ、ここの職人さんは”超高域”が聞こえてないんだな、だから”高域”をやたら出してしまうんだな。」

ってことです。


聞こえないから出し過ぎになる、聞こえすぎてるから減らしてしまうというのは音を扱う上での摂理みたいなもので、モニター環境とかでも最重要的に注意すべきポイント。


シンバルにおける本当の輝き成分とか艶というのは10Kあたりの界隈ではなく、15K以上がとても大事なんですね。


というか、シンバルに関わらずそうです。

バイオリンでもベースでもギターでも。


例えば、塗装がポリエステルで分厚いエレキギターなんてのはハイが全く出ません。その「塗装の重さ」がハイを殺すのですね。けどそれを無理矢理エフェクターとかアンプで出そうとしてハイを上げても痛くなるだけですよね。皆さん知ってるでしょうが。


件のメーカーのシンバルに関してはまさにその状況が起きてるというわけです。


出来上がってくる音というのは、楽器やミックスに関わらずその人の「耳の特性」にどうしても影響されます。

それがいい場合もあるかもしれませんが、そのシンバルに関してはちょっと残念な感じになっている気がします。

以下のBLOGもご参考に。。。

https://www.edo-mae-recordings.com/blog/2017/8/23

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高度なレコーディングテクを教えます。

高度なレコーディングテクニックをご紹介しませう。


レコーディングでどーしても集中して聴いてますと客観性が乏しくなる場合があります。

神経質に聴くと細かいことが気になり始め、結局時間を使い予算の浪費に繋がるわけですね。


そこで!そんな時に使うテクニックとしては!


「エロ本聴き」


というのがあるんです。そう、エロ本を眺めながらプレイバックを聴くんです!(笑)


というか、いまやコンビニですらエロ本を売ってない悲しい(?)時代ですので今や高度すぎるテクニックと言えましょう。

しかし、そこは普通の週刊ポストとかCanCanとか月間住職とかでもいいんですが、要するに雑誌を読みながら的な「ながら聴き」をしようということなんですよ。


ディレクターさんとかがmacにくらいついて仕事したりしていて、一見ちゃんと聴いてない風に見えるのにちゃんと意見できるのは、この「エロ本聴き」が出来てるからなんです。


このテクニック、演奏の音のズレ、ミス、ノイズ等が恐ろしくよくわかります。逆にこの聴き方で気にならないならば全く問題のない事であるという事です。


今なら「Twitter聴き」とかでもいいですかね。

ただ、エロ本が無いからってエロサイトを見るのはあまりスタイリッシュとは言えませんのでご注意下さい。

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レコーディングに関して困った話

レコーディングスタジオのような仕事をしてますと、見学だったり相談なんてのも多いのですが、最近非常に驚くのが。

「レコーディングってバラバラに録るんじゃないんですか?」

「一人一人でやるという方法しかないですよね?」

あと、「”修正を完璧にしてないから”恥ずかしい」

とか。

こっちにしてみると


えええええええ!!??!!!!


って感じです。バラバラで録る方法も場合によってはもちろん有効ですよ。修正もやる時はやる。

しかし、それが普通でむしろそうしなきゃならないと思ってる人がいるようなのです。

「え?セックスって直接やるんですか?スマホ越しの相手とバーチャルでやるものじゃ、ないんですか??」

ぐらいの衝撃ですな。。。。

何故そう思ってたのかというと、

「ネットにはそう書いてあった」

「みんなそうしている」


とかそういう事のようです。

(※もちろんそうじゃないんですよ、と、懇切丁寧にご説明させていただいておりますし、皆さんすんなり御理解頂けますよ)

確かにネットでレコーディングを調べるとまともな内容のモノは殆ど皆無。


そもそもネットにはまともな事は殆ど書いてないというのを考慮しなくてはならないですし、

情報や常識?を疑うことすらしない。

SNSのアイコンはチョー可愛いのに会ってみたら「ぎょえー別人!」

みたいな事もあるそうですが、

それこそもう「修正なしの顔で会うこと」すら恐怖な時代なんですね。嘘ばっかのネット社会。


そりゃ会えないならスマホ越しでセックスするしかないわな(笑)


つまり、音楽って複数の人間が同時に演奏してアンサンブルするという、ジャンルに関係のない音楽の「真理」すら揺らいでいるのでしょうか。


本当に音楽ってなんなのか、どうするべきか。

最低限考えたい。


というか、たとえ経験がなくそういう事に頭が回らなくても、それに気がつける業界や世の中の空気が最低限あってほしい。


でも、生まれた時のからスマホに育てられたような世代が音楽の本質を変えることも起きるのかもしれません。

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ドラムに日に寄せて

日本の録音された音楽のドラムサウンドといいますと

音が小さい

音が細い

存在感がない

ダイナミクスが希薄

ってのが特徴的です。

さらに

アタック成分に寄りすぎ

分離に拘りすぎ

という悪循環に陥ってます。

それらは全部繋がっていて、例えば音を小さくせざるを得ないからアタックを強調しがちになるって事が起きるわけです。また、小さくせざるを得ないので分離が必要になる等々。

じゃなんで根本的にドラムのミックスが小さいのか。

それは散々言ってますが音楽や音像におけるドラムの役割がまだまだ理解されてないってことですよ。

馬鹿な政治家が保育園とか教育とか芸術に金かけないのと一緒なんです。

特にギタリストがサウンドのイニシアチブを握ってるバンドなんて大変です。

ギターの事しか考えてないですからね(笑)←めちゃめちゃ大袈裟

ドラムなんか邪魔なんですよ。小さくしたい。ドラムやベースをデカくするとギターが聞こえなくなりますからね。

あと、歌が異常にデカイ(ドラム小さい)というのも似たメカニズムです。

とにかくドラムの必要性や重要性が理解されてないんです。ドラムが大きいとうるさいと言われるんです。

たまに「(ドラムの)ローの重要性」に気がついたって言う人が居ますが、気がつくのが遅すぎです。

「当たり前」の事です。

あなたが今までギターの事しか考えて来なかったから気がついて無かっただけな気がするのは僕だけでしょうか?

じゃぁ、ドラマー以外がドラムの重要性に気がついていないのは、何のせいでしょうか?

それは(仮説ですが)

ドラマーがいい演奏やいいサウンドを出してないからじゃないですか?

ドラマーはドラムの事しか考えてないからじゃないですか?

どうしてもドラマーは曲を書くことが少ないのでサウンドのイニシアチブを握り難いというのは仕方ないですが、

ギタリストがギターの事しか考えていない、ベースも、、、

というようにドラマーもドラムの事しか考えてなくないっすか?

もちろん考えてないわけはないでしょうが、多分お互いに思い合う心が足りない可能性は大いにあるかと。。。。

リハは自分の音しか聞こえていないような環境でやり、レコーディングは個別に家でやってる、なんてのでは理解が深まり合うことは難しいと言えないでしょうか?

ああ、愛しきドラマーの皆さま。。。。。

海辺のドラマーさん、スネアが飛ばされないよう気をつけてください。台風。。。。。。。

海辺のドラマーさん、スネアが飛ばされないよう気をつけてください。台風。。。。。。。

とにかく音を減らしてみるのです

日本の音楽の特徴を挙げますと、

1.とにかく音数が多い

2.人にまけないような複雑なことがしたい

3.とにかく速く演奏したい


この三つの呪いがいつまでも続いています。

3.に関してはだいぶそうでも無くなってきましたが。


ほんとに心の底からそういう音楽をやりたいなら別ですが、おそらくリスナーやスカウト的な位置の業界人を含め、そういったところに魅力を感じて音楽を聴く人の率は極めて低いです。


テクニックも複雑もやるなら世界に通用するするぐらいのモノでなくては殆ど意味がないので。

自分だけの個性、自分だけのフレーズ、自分だけのテクニック。。。それも大切です。しかし、

もっとシンプルに音を減らしてみて下さい。


それだけであなたの音楽やメロディや歌詞はもっと輝くはずです。

シンプルにすることが出来ないひとが99パーセントなんです。それが出来るだけで物凄い個性を「コストをかけず」簡単に手に入れられるのです。

そうすればキックやスネアの一打が輝き始めるのです。

真の個性への旅はその先にあるのです。

アーメン。


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音楽を認めてもらう第一歩に踏むべきもの

音楽を伝えるにはどうしたらいいのか。

音楽について、受け手側と演奏する側では立場の違いがあります。

そして、美への感性も違いますし、経験や理解するための素養も違うわけです。

ルネサンスなわかりやすい絵画しか受け付けないという人もいればゲルニカのような抽象画を好む人もいます。

またありとあらゆる絵画が好きな人もいます。

また、世界的絵画でも写真資料でみてわからないことが生で見ることで分かったりすることもあります。

音楽はどちらかというと「記録された」ものを鑑賞する率が圧倒的に高いです。なので「何に、どのように、どのような気持ちで」記録して頒布したのかがとても重要になるわけです。

ここで重要なのは表現者の「気持ち」です。

音楽の内容が過激なスラッシュメタルであれなんであれ、アーティストの音楽そのものとそれを丁寧に伝えようとする気持ちが伴っているかどうか。

聞いてほしいなら聞いてもらえるように心を込めているのか。

それは履歴書の文字のようなもので、華麗なる学歴や経歴があっても字が丁寧でなければ敬遠するかもしれません(もちろん字は関係ないし、効率的かどうかを見る人は手書きにこだわらないかもしれませんが)。

石焼き芋の移動販売のアナウンスが音が大きすぎたりすると「食べたい」と思う以前に「うるせー!!!あっちいけ」と思うでしょうし、小さすぎたら来てることもそもそも伝わりません。

また、音が多少雑な呼び込みのほうが「逆に風情がある」という人もいるかもしれない。

けど、そこの基本にあるべきは「美味しいので買ってほしい、食べて欲しい」というのでなくてはならない。

音楽も人に届けたいなら「聴いてほしい、それで楽しんでほしい」というのを心の底からまず思い、一番適切な方法を取る努力をするのが大切です。

もちろん、自分が出来る範囲で最大限努力すればいいのです。

聴く人見る人が何を求めてるのか、どういう条件でどんな時に聴かれるのか、それを真剣に考えなくてはならない。

それが結局レコーディング作業の一つ一つに関わってきます。楽器は何を使いどう演奏してマイクを立て、ミックスし、マスタリングし、映像なら編集して、どんなメディアでどう発表するのか。

音楽を見て聴いてる人は本能的にそういったことの「総合結果」を聴いているのです、テクニックやペダルを踏む足はどうなってるのか?なんてものを見てはいないのです。

どんな音楽でどんな人がどんな気持ちで奏でてるのか?しか見てない、と言い切れるでしょう。

その人の真心のようなものが演奏の内容に表出する。

その真心をどのように込めて音楽を奏で作るのか。それは結局自己プロデュースであると断言します。

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マスタリングって何スカ?

マスタリングってなんでしょう?

明確に答えられる方は実は少ないのではないでしょうか?

漠然とレコーディングの最後の行程で曲のレベルや音質を揃える作業という捉え方の方が多いと思います。

それも合ってるのですが、半分しか合ってないとも言えます。


マスタリングとは本来はメディアへの最適化です。原点はレコード時代のカッティング(製造原盤の溝を掘る作業)における音質の適正化の作業です。レコードというのは実際の音を溝に掘るわけですが、針の振幅の大きい低音は余り沢山突っ込めなかったんですね。つまり、針が飛んでしまうのですよ。

そういうことを調整する、また、レコードは外周と内周で音質が違ってきます。そういったモノを調整するというのがマスタリングでした。もちろん曲毎の音質調整も含みます。


現代で言うとマスタリングで大切なのはYoutubeへの最適化と言えましょう。アーティストによってはCD、Apple music、Youtubeで別々のマスタリングバージョンを作成することがあります。


CDは長らくレベルが大きいのが良いとされてきました。

しかし、今のある種の主流といえるYoutubeでは音の大きなモノは下げられてしまうのです。

頑張ってデカイ音圧にしても「無駄」なんですね。(笑)かと言ってもちろん小さすぎもダメ。


果たしてYoutubeにとっての適正な「音圧」そして「音量」になされているか、「ダイナミクス」と相反する「音圧感(塊感)」がその音楽に合っているか。大量にあるYoutubeの音源の中で埋没しない音質的音楽的個性を発揮できているか。。。


“ただ大きければいいというマスタリングは時代遅れ”という視点すら”最早時代錯誤”とも言えるでしょう。


ドラムサウンド一つとっても(演奏そのものはもちろんのこと)、Youtubeに最適化されてるか、いやいや、その”音楽”に最適なのかどうか?


一つ一つ吟味して愛情すら込めて表現することが、あらゆることがインスタントで化学調味料的なこの時代には求められる事と言えるでしょう。


マスタリングに限った話だけでなく、、、。

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