僕は職業柄といいますか、性癖柄といいますか、つねに『音』と『音楽』について考えている気がします。もうめんどくさいし嫌なんですけど(笑) 。

しかし『良い音楽』はもとより、『いい音』すら定義がはっきりしません。人によって千差万別。

実は、今日より数回に分けて『いい音』の正体を探って行きたいと思っているのですが、その前に約3年前に旧BLOGにて書いた内容をre.POSTしてみようかと思います。明日以降UPする本編と重複するところもあるかと思いますが、まぁ御参考までに。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

あなたがいい音と思っている音は間違っている!

レコーディングエンジニアの都合というか「エゴ」で言うと、楽器の録音というのは最もその楽器のいい音がするポイント、鳴ってるポイントを狙うのが一つのセオリーではある。しかし、たまにこれは落とし穴である場合があるのだ。


なぜなら、そこに奏者の耳はない。ということ。


つまり、奏者がいいと思ってる音と第三者がいいと思ってる音に乖離がある可能性が高い。ドラムなどは最もその差が大きいといえよう。ドラマーと第三者の耳の位置は多くの場合真逆とも言える関係にある。そもそもドラマーはスネアの真上の至近距離に耳があるので、その音量と音圧により聴こえ方が歪んでる可能性があるのだが(その歪んでる状態がドラマーにとって普通過ぎになっているかもしれないが、その可能性は大きい。ただでさえ側で聴いていて音がデカすぎて苦痛ですらあるから)、しかし、それが演奏トータルで見た場合重要な「聴こえ方」である可能性が高い。なぜならその「聴こえ」が全ての演奏バランスの基礎となってるからだ。

タブラでもジェンベでも、意外と打楽器奏者自身は我々第三者以上に楽器のアタック感とハイの抜けを注視しているようだ。双方ものすごく低音が出ている楽器なのだが、奏者自身の位置ではハイの聴こえの方がバランス上大きいのである。
だから録音に於いても、再生されるそのハイの質感や量、音色を非常に気にする。楽器そのものの音色の判定にももちろん関わるだろう。

同じようにアコギでもバイオリンでもクラリネットでもフルートでも琵琶でも尺八でも、奏者がどう聴こえてるのか?が、録音する際の大きなヒントというか、道しるべとなる。

最も奏者と聴く人の条件や耳の距離が異なる『梵鐘』。叩く人は至近にあり、聴く人は遥か山を越えることすら、ある。新緑の奈良県宇陀市室生寺梵鐘

最も奏者と聴く人の条件や耳の距離が異なる『梵鐘』。叩く人は至近にあり、聴く人は遥か山を越えることすら、ある。

新緑の奈良県宇陀市室生寺梵鐘

決して「ここで聴くと一番いい音がします。」で、マイクの位置を決めてはいけない。多くの場合(たまに)、ん?という顔をされる。
加え、レコーディングではその楽器奏者自身がどう聴こえているのかだけではなく、楽器そのものやその音楽の成り立ちもしっかり理解しなくてはいけない。
わかりやすく言うと、沖縄の古民家の縁側で静かに弾いてこられたであろう三線のCDに、極端なリバーヴなど本来はありえないのだ。
沖縄民謡って教会で演奏されてきたのか?(笑)
もちろん制作上の意図であれば別だが。
これは極端な例ではあるが、このように、「この楽器とはなんなのか?どんな音なのか?」というのは、単純に「いい音、素晴らしいサウンド」であればOK!などという簡単なモノではないのだ。

しかし、かと言って全ての楽器について深い造詣を得るのは非常に難しい。
だからこそエンジニアはマイクや機材に向き合ってはいけない。
しかもまずは楽器自体に向き合う前に、奏者自身と音楽に向き合うべきだ。
現場で若いアシスタントと新しいプロツーのバージョンの音の違いなどという些細な事を話してる暇があるなら、様々な奏者と雑談でもして、少しでもこれから録音する音楽についての情報と、楽器の音を引き出すべき。

江戸前ではご存知のとうり、ドラムについてはそこを徹底的にやっている。
しかし、可能なら全ての楽器と音楽についてそのアプローチを取りたいと常々考えている。

いい音である前に、いい音楽になっていなくては話しにならない。
音を伝えるのではなく音楽を伝えねばならない。ましてやマイクの特性やプラグインの個性を伝えてはいけないyo。
 

初出2014年6/13日

Comment