レコーディングにおける「写実的である」ということ。

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音楽をレコーディングするにあたりひとつの目標になるのは「いかにリアルな音で録れるか」であるのは間違いありません。


しかし、全てがそれぞれにリアルであると整合性が取れないのが現代のポップスやロックだと思います。

爆音のドラムに対してのウィスパーなボーカルというのは本来物理的な音としては整合性が取れないわけですが、それをセンスや技術によりマッチングさせて音楽に仕上げる。これもひとつの写実性の具現化と言えましょう。


クラシックのオーケストラなどは物理的な非整合があるとそれは音楽そのものが崩れることになり、音楽を再現出来なくなるわけです。コンサートホールにおいてソリストはそれなりに大きな音や抜ける説得力のある音が要求されます。でなければ聴こえなくなる。


レコーディングの面白いところはこういう制約がないことです。音量バランスだけでなく色んな演奏を試して繋いだり、時間を異にし演奏されたテイクをくっつけることが出来る。


では、このように何が写実的か真実かが曖昧になっている現代のレコーディングにおいてそれを追求するとなると?。。。


それは結局作曲者や演奏家の「こころやからだ」の中にある心象風景をいかに誠実に録音し、作品にするか。

になってくるのだと思います。


なので、演奏の精度や音質の精度よりもそれぞれの音が「音楽にとってどうあるべきか」が大切になってくると思うのです。


例えば子供の頃の記憶は朧げでいくらか美化されているでしょう?


それは少しピントのズレたフィルム写真をプリントした「紙」であるほうが逆に「写実的」であるかもしれない。


記憶にとって「写実的」。


音楽に長い生命を宿すためにはそういう意味の「写実性」が一番必要なのかなと、最近いつも考えています。

スネアのチューニングが悪いとビートが安定しない話。

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みなさんスネアのチューニングの重要性はご存知とは思いますが、レコーディングをみていますと意外とみなさんテンションボルトの回し具合は『ざっくり』しているようです。

外部からの持ち込み音源のmix時によくあるのですが、スネアの音色が一定しない、叩くごとに倍音構成や和製的意味のピッチが上下したり波打ったりしているのです。これはどんな状況かというと実は弦楽器を耳でチューニングする時に2本の弦をハーモニクスで鳴らしてる状況に似ているのです。

もちろんピッチが揃わなくては波打ちますし、ペグを回せば上がり下がりする。まさにその状況が起きているのです。

これはおもに表ヘッドのテンションのかかり方がボルトによって一定ではない時(テンションの位置で叩いた時にそれぞれのピッチが揃っていない状態の時)に起きる現象です。さらに叩く位置が不安定だとさらにその打点の位置に近いボルトのピッチに寄ってしまいます。またボルトごとの音程が揃ってないと2本の弦よろしく音が波打ってしまいます。

ここまで露骨に酷い状況でないにしても、耳をこらすとショット直後は一瞬濁っていてその後音色が安定するという状態もよく耳にしますが、それも各テンション位置の音程のわずかな不揃いから起こるようです。ライブでは気にならないかもしれませんが、レコーディングではとても気になってしまいますね!

いろんなチューニング手法があるとは思いますが、揃えるならば徹底的に揃えないと濁ってしまいます。叩いている本人は爆音で気がついてないことが多いものですが、是非プレイバック時に気をつけて聞いてみてください。特にショット直後の濁りについて。

で、なんでチューニングが安定しないとビートが安定しないのか?それはオケの中で聞こえやすくなったり聞こえにくくなったり音量感が安定しないように聴こえてしまうからです。ショットを安定させましょうというのと同じ理由です。

と、まぁ、日頃のチューニングの精度を上げていくことは演奏を良くすることにもなるんですね!

 

 

レコーディングでの生ドラムサウンドの大切さをもっと認識しよう!

先日レコーディングに来たトラックメイカーさんが言ってらしたんだけど、トラックメイキングにおいて「どんだけ頑張ってもキックが向こうに負ける」のだそうだ。使用機材や方法論は同じでも。

これは僕も常日頃思っている、「ドラムサウンドが常に向こうに負けてるなー」という印象とリンクするものです。

ま、勝ち負けではないんだけど!

はっきりいってマイクやマイクプリ等の機材は向こうに負けてるなんて事は少なくともない。楽器レベルで考えてもパールやヤマハ、TAMAなど日本のドラムは世界を席巻してるわけだから楽器のせいではないはず。

では、なぜそのような音の差が出るのでしょう。
まずは日本の現場ではドラムの音を確信的に(もしくは結果として)悪くしている、というか地味にしてるというのがあります。歌を活かす為です。日本のボーカリスト は「声が弱い、歌が弱い」場合が多く、ドラムサウンドが良すぎたり迫力がありすぎるなどしてドラムに耳が行くようでは曲として成立しなくなる可能性が出できちゃう。だからLOWの少ないドラムサウンドにしてしまう(他のオケも含めて)。まず、一点はそれ。

第二点としては、単純にドラムサウンドに対しての感覚が成熟してないというのが考えられると思います。
アメリカなんかだと特にどんなアマチュアバンドであれドラマーはマイセットをライブに持ち込むらしい。それが当然の日常なんだそうです。(ドラムの売り上げも日本の比ではないと)

日本ではワンマンならともかく、対バン式のライブでのセットの持ち込みや入れ替えなどあんまりやりません。運搬の問題もあるだろうし、さらにライブハウスも嫌がるでしょう。
ライブハウスにしても良いところもあるでしょうが、大方とんでもない状態のセットで金すら取る有様。リハスタしかり(最近の都内のスタジオはかなりいい感じのところが多いですが)。つまり、みんなドラマー含め『ドラムの音をあんまり知らない』んですね。
ドラムの良い音も、音のバリエーションの幅広さや深みも。一つのセット・スネアからいろんな音が出せる事も認識できないでしまっています。


例えばレコーディングで良く感じるのですが、スネアの音の好みの傾向がみな画一的であること。ハイピッチで倍音カンカンでサステインの長い音を好む傾向が”未だに”驚く程高いです。
スネアの音にはドスって音からパスっ、ダッ、スタン、カン、トワーンまで非常に幅広いバリエーションがありますが、カンカンだけが非常に好まれる傾向です。
音には流行りがあるのが解りますし常に目新しくあるべきだとは思わないですが、ちょっともう食傷気味な音の傾向です。(最近はダスっがやっと流行りだ出しましたけど)

欧米のサウンドを見ると一枚のアルバムの中で様々なスネアのトーンに出会う事ができますが、日本のアルバムだとスネアのトーンのバリエーションが非常に少ない気がします。
バンドの場合、曲によってスネアのサウンドがいちいち変化するのはドラマーの個性付けや統一感の面からあまり好まれない側面があるのは承知だけれど、アーティストモノの場合もっと幅広いスネアのトーンバリエーションがあってもいいと思うのは僕だけ?もちろんドラムセット自体のトーンも。

現場プロデュース的にどのドラマーを呼ぶのかとかにも関わってくるけれども、あまりにドラムサウンドの追求に時間が割かれてないような気がするCDが少なくないです。
限られた予算や時間との兼ね合いがあるのは重々承知の上でもあるけれど。

作品の音の質感を大きく左右するドラム、手順的にも始めに収録されるドラムであるからして、そのサウンドは以降にダビングされるウワモノの音を左右すらするはずでしょう。
結局ドラマーもプロデュース側もドラムの音にそこまで「拘ってない」のでしょうか?
特にエンジニアはドラムのマイクセッティングと音決めが早いほど現場では優秀とされる傾向があります。
だからドラムの生音に問題があっても卓を離れず手元のEQやコンプでささっとやってしまう。。。

つまり生音を聴いていない。もしかしたらしたら興味すらない(?)。
これはあり得なくないすか。。。
ブースの行き来すらおっくう?。。。。


また、相手が著名なドラマーであるほどなんとなく音に注文がつけづらい雰囲気があったりもします。ドラマーによってはその音自体がトレードマークである事も多いでしょうし。

しかし、本来ドラムサウンドとはそういう簡単なものではないと思うんです。厳密に言うとドラムサウンドと音楽の関係がそんなに簡単なモノであるはずがない!ということでもあるでしょう。
ドラムサウンドとは、ドラマー自身はもちろん他のパートのミュージシャン、そしてエンジニア等現場にいる人間皆で創り上げるべきものですよ。ドラムチューナーさん含め。

そのぐらいそれは大切で、音楽そのモノを左右するファクターであると僕は思っています。

あらゆるポピュラー楽器の中で最も繊細な音作り(楽器レベルでの)を要求されるドラムに少し無頓着とも言える状況こそ、日本の音楽的成熟が達成されてない事を示唆しているような気がするんです。
(もちろんすごくこだわってる方もたくさんいます。※スタッフが美味しくいただきましたという意味合いぐらいのお断り)
mixでどんだけいじくってもまったく無意味に近いんです。


これは言いすぎになるのでしょうか?

ウィキペディアでみつけたラウドネスの樋口宗孝さんの名言が印象的でした。
「やっぱり樋口が叩くとこうなるな」では終わりたくない。
それはプレイも音もでもあったのだと思う。つねに幅広いサウンドと音楽性を追求するべきと。

みんな『ドラムってこんなもん、こういうもん』と決めつけすぎてないでしょうか。
playスタイルしかり。


最終的に冒頭のトラックメイカーさんは、
「打ち込み的手法でリズムトラックを作成するにしてもやはり、ドラムの音は楽器で生で根本から作らないとやはり向こうには勝てない」とひとりごちていました。


やはり最後は結局そうなります、なりましょう。

ちなみにトラックメイカーさんにはうってつけの生ドラムループ集はこれですよ。リズムを解体し再構築して打ち込みに使うのも、あり!

https://www.edo-mae-recordings.com/edomae-loops/ryo-kanda-trip/

とにかくドラムのことならなんでも僕にまずはご相談してくださいな!冷やかしでもok (笑)

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レコーディングでの基本的なドラムの音の作り方。

レコーディングは基本的に『よっぽどの事情が無い限り』
リズムのかなめとなるドラム、ベースから収録して行ゆきます。
(江戸前では1発も多いですけど)

まずスタジオ入りしたらさっそくドラムのセッティングからです。

ドラムのサウンドはレコーディングの中で最も重要なポイントを占めています。
なぜかというと、ドラムの音でぱっと聴きの作品の印象が決まってしまうのです。
ドラムサウンドの様々なファクター、つまり『楽器本体の音』『プレイヤーの音』『部屋の音』『レコーディングテクニック上の音』の複合作用で作品全体の『hi-fi感』や『low-fi感』、さらに『ジャンル感』『時代感』などが決まってしまうということです。

ドラムの音が『間違って』たら元も子もありません。失敗になってしまう。

なのでEDo-maeのレコーディングではドラムのセッティングから音決めに時間をかけさせて頂いております。
普通は1時間程度かかります。
熟練したドラマーの方の場合で45分程度でしょうか?。

音作りで重要なのは1にも2にも楽器選びとチューニング。

当スタジオではドラムを持ち込まれる方は少ないため、スタジオ所蔵のグレッチ・ラディック・ロジャース・パール・タマ・ソナー等から一番お客様のバンドサウンドに合う楽器を相談して決めさせて頂いてます。ヘッドもその都度換える場合もあります。
(現在基本的に用意しているヘッドはコーテッドアンバサダー、コーテッドエンペラー、ビンテージコーテッドアンバサダー、クリアアンバサダー、クリアエンペラー、プロトーンシングル、プロトーンダブル、ピンストライプ、ファイバースキンです。キックのヘッドも多数)


事前にミーティングをしたり、リハーサルを見学させて頂いて決める場合も多いです。
本来そこまでしないとベストなドラムサウンドを見極める事は出来ません。

ドラマーのみなさんも個人で悩んで色々な楽器を試しては自分の音を少しづつ追求していきますよね?
それをレコーディングだからといって、いやレコーディングなのに本来1時間やそこらで簡単に決める事は出来ないとおもいませんか?。同じドラマーでも曲によって音の解釈も違ってくるでしょう。
そこで江戸前の『超客観的』な視点を加味し、合理的に端的にもちろんドラマーさんと相談しながら、音の感覚を共有しながら、音『決め』をしてゆく。それにはやはり時間がかかります。
ちなみに江戸前さんはベーシストです。ドラムは全く叩けません!ゆえに超客観なのです(笑)。

『あ=、ドラム組めた??あ、っそう?そんじゃマイク立てるからさ。んじゃ、キックからもらえるかなぁ~~?』
『はいは~~い、okです。んじゃ曲いこうか~~~??』

とは、しませんwwwwww。
そんな適当なエンジニアさんは『日本を去れwwwww』


ドラムのレコーディングは『ドラム』に行き来してなんぼです。
そこで直すのはどちらかというとマイクセッティングではなく、ドラム本体のチューニングやミュート具合にほかなりません。スネアなんてバンバン替えますよ。合わなかったら。40台ぐらいありますからねぇ。

もちろん『現場』の雰囲気とか『状況』とか『どんなプロジェクト』なのか?『予算は』
すべて鑑みてやるには決まってるのですけれど。

1流のドラマーの方だとほんとに1発で決まる事も多いのです!
しかも1流の方であればあるほどマイキングやEQなどに頼ることはしませんので、むしろこちらもやりやすい訳です。『音作り』について楽器レベルでお話しさせて頂けますからね。

EQでなんとかしてくださいなんてドラマーはマレットで叩いちゃいますよ(硬い方で)~~~。www
 

ちなみに楽器と江戸前が外部スタジオに出張!てのもやってますから、ご相談ください。むふふ。

ラインケーブルの長さによる音の劣化を証明しました!

過日、江戸前レコーディングスにて行った面白い実験の結果をお知らせしましょう。

レコーディングの音質は常々ケーブルの長さで音が変わる、鮮度が落ちる、アタックがぼやけ音が遠くなる等々申してる江戸前ですが、それは本当なのか?というのを実験してみました。

まずは音源をお聴き頂きたいのですが、収録済のDrトラックからスネアとキックだけをモノラルで抜き出し、protoolsの192/ioよりアナログで出力、そのままアナログでinput に戻し再録音してスペクトルを比べる、というものです。(ピークを検出する方法にて)

 

sound[1]は1.5mのアウトのd-subケーブルからインの1.5mのd-subケーブル(オヤイデ製)にそのまま戻したもの。
sound[2]はその途中に5mのベルデン8412を12本継ぎ足し、合計63mのケーブルを通し戻したものです。
(勿論同じout1とin1を使用し、繋ぎ変えて収録しました)

音を聴きますと63mの長さを通した音の方がぼやけているように聞こえますよね。

スペクトル(周波数特性)も見てみましょう。

3mのマイクケーブルのスペクトル

3mのマイクケーブルのスペクトル

63mのマイクケーブルのスペクトル

63mのマイクケーブルのスペクトル

両方を重ねてみた

両方を重ねてみた

サァどうでしょう!なんと63mでは500hz以下が軒並み5dB程落ちています。
また、なぜか1khz周辺が2~3dB増えていて、その先3khzあたりから先の高域がまんべんなく最大5dB程度落ちていますね!

いいですか?
みなさんEQとかよく触るとは思いますが、5dBって相当ですよ?ご存知ですよね?
ipodやiphoneのイコライザーだと、そうとうグイっと上げる感じが5dBです。
とんでもない量です。

太さやコシに関わるmid~lowが痩せまくって、『ヌケ』の高域もどっか行っちゃってます。
つまりいちばん『音の ”悪さ” に貢献する』1khz当たりが相対的にかなり増幅されていて、『かなり音が悪くなっている』のです。

しかも63mのほうは明らかにhiエンド・lowエンドがガクンと落ちているのが判ります。
つまりスペクトルだけ見ても、結果明らかに音が痩せてしまっていると言う事がお判りになるかと思います。
実際両方の音をセンターで同時に出し、片方を逆相にしてみましても、完全に音は消えませんでした。


63mといいますと極端な長さではありますが、ケーブルというのはこのように長くなればなるほど音が悪くなるという事なのです。3mと比べて10mだとしても、また様々な接続ルートの合計の場合でも同じです。(しかも半田の接点が多くなることでも劣化します。)

今回提示した結果だけでは『アタックがなまる』ことについては証明できませんが、音を聴くとそれもまたお判りになるでしょう。

例えばライブアルバムがやたら音が細い理由はコレです。

63メートルというとかなり長いと思うかもしれませんが、
商業用のいわゆる”カッコイイよくて大きいおしゃれな”
『THE RECORDING STUDIO』なんて何十メートルも実際ケーブルを引き回しているものです。
エンジニアのいるコントロールルームから見てドラムセットはずいぶんあっち側だったりします。
macやインターフェースを置いているマシンルームは一体どこですか?隣の部屋だったりします!?

江戸前ではマイクからマイクプリまではたったの5m、その先192/ioまでは1.5mの合計6.5メートルで生ドラムを収録しています。一般的なレコーディングスタジオの大体半分以下です。
使ってるケーブルもベルデンの8412という高品位なモノで、1.5mの192/ioまでのd-subケーブルはオヤイデ製。
※ケーブルの型番についてはだめ押しで言ってるだけで、別にカナレでもmogamiでもなんでもいいんです。
ここで言いたいのはケーブルの『長さ』。


マイクだのマイクプリだのコンプだのプラグインだの録音フォーマットだの何bitだの192kだの言う前にもっと、大事なことがある事をここで声を大きくして言いたいのです。



江戸前のレコーディングの音の良さ、
『太い、リアリティーが有る、実在感がある、空気感に溢れている』
の究極的要因はこれかと思っています。


ところでこの実験、やってみて実は僕的には『思ったほどそこまで極端な差がない』という意外な結果でした(笑)
自分で擁護するわけではありませんが、今回は『ラインレベル』での実験だったからなのでは?という疑念があります。経験上マイクレベル(ラインレベルよりケーブルを流れる電気が小さい)でのレコーディングではもっと音の差を実感しますので。(もちろんギターのアンプまでのシールドの長さも同じことですよ。しかもギターから出る信号レベルはとても小さい。エフェクターをたくさん繋ぐ事しかり)
 

次回は時間がある時是非『マイクレベル』の信号で同じように実験してみたいとおもいます。

まったく音とは厄介なモノですわ。。。。

輪廻転生するドラムサウンド

ドラムサウンドは時代を表す。

街で「まんまるメガネ」ってなファッションが何十年ごとに再び流行るように、ドラムサウンドにもその時代なりの流行り廃り、輪廻があります。
だが、サウンドの志向は繰り返してるように見えてしかし成長しています。

スティーリーダンのような程よくアナログ感のあるハイファイサウンドなんてのは永遠のスタンダード。ひたすら上質を目指す音姿勢。
逆にひところ流行ったようなデジタルデジタルしたちょっと固めのニューヨーク系サウンドは今は悪い意味で古臭さを感じざるを得ないです。


ドラムレコーディングの世界ではクエストラブが出て来たあたりから、ドラムサウンドにも実験性が出ててきました(そりゃもちろんリンゴだってやってましたけど)。楽器のチョイスやチューニング、そしてレコーディングエンジニアリングに一癖二癖持たせる。しかもドラマー本人がサウンドをプロデュースする。ただキャンバスに緻密に写実性だけで描くだけでは得られない音の質感をめざす姿勢。

楽器自体も進化してるので、ハイファイでありながらもビンテージの深さみも持つというようなサウンドも見かけるようになってきました。(製品としてはその逆のコンセプトのものはあまり見かけませんけど、あ、keetとかかな)クリスデイブの新作などは今の楽器でビンテージなチューニングを施し、最新の演奏アプローチをしているっていう感じですし。

しかし、この辺はエンジニアリングの進化も関わるのです。もともとレコーディングエンジニアは特に日本ではその仕事の立ち位置としては『受け身』の美学みたいなところがありますから。ところが世界一優秀でドラムを理解しているドラマーがエンジニアとしての技法とセンスを持ち音楽を作る時代。。。。

このようにドラムという原始的な楽器なのに、常に進化して深化してる。海外では。

("海外では"。時間を潤沢にかけて (つまり金かけて)、いろんな楽器やチューニングや録りかたを追求する。まぁなかなかできませんね。。。)

このようにドラムサウンドが進化するのはなぜか、それは逆に原始的なモノだからかもしれない。
 

小口径ドラムセットでクリエイティブなサウンドを作るなんてのも、なかなか現代的であるとも言えるかも。

これからあげるサンプル音源は16インチのバスドラのシライkeetのセットです。

このサウンドはEDOMAELOOPS 神田リョウeditionに収録されているのですが、

そのLOOPで曲にしたものがこれです。日本のもっとも古い音世界の琵琶と今ぽいドラムサウンドって、合うんですよ。『歌』というより『語り』なVocalとも。


私は、ドラムそのものでの次元 (時点) でクリエイティブな『音作り』をしたい。
様々なサウンドを積極的に採り入れていきたい。
アーティストが、許すならば。
というか、許容するならは。

というかそのドラムサウンドがそのアーティストを生む、くらいの順番であってもなんら問題ないと思いませんか?

音楽が、レコーディングが技術的特異点「シンギュラリティ」を迎えたら

これは2015.9.01に書いた記事です。

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今日は昨日呑んでいてふと思った事をつらつらと。
『技術的特異点と音楽』


最近の音楽のソフトウェアや各種デジタル機材の進化と普及はめまぐるしいものがあり、それによって様々な新しい形態の音楽が次々に産まれてきています。
音源やプラグインで作り出せないモノはないのではないか?と、勘違いするほど。

科学技術の世界ではここ30年の間に技術的特異点「シンギュラリティ」というのが訪れるそうなんです。
簡単に言うとコンピューターや科学技術が人間の脳や身体の能力を超えて、下手したら人間がコンピューターやロボットの奴隷になってしまうのではないか?とか(笑)
SFやオカルトのような話しですが、今やまじめな議論の的になってるとのこと。
実際コンピューターやIT、ネットの通信スピードの進化、工学の進化がこのまま続くと間違いなくそんな時は訪れるそうなんです。


これは、こええ。


で、音楽について考えてみた時に、
ロボットが作曲できたりドラムの演奏出来たりって時代が間違いなくくると思うんですよ。
その時に生身の人間はそのロボットに対して何を思うのか?

想像できるのは、それこそ手数とか正確性とかスピードとかは間違いなく負けるだろうと言う事。作曲のスピードも負けるでしょうし、ありとあらゆる音楽の制作や演奏の効率面で人間は負ける事になるでしょう。

で、そんな時きっと人間は言うはずなんです。

「そんな精確なだけの、無機質なロボットの演奏なんてつまらないよ。(それでも充分有機的で感情豊かな演奏をしそうな気がしますが。科学技術によって)」

「音楽は人間が演奏するから面白いんだよ。」

「精確無比なだけの音楽なんてクソつまらない。人間の曖昧さとか不確実性こそ音楽の魅力だ!」

云々。

これは安易に想像できます。

これは安易に想像出来る人間の言い草です。

。。。。



しかし、実は音楽についての技術的特異点はすでに目の前、いや、とっくに来てるのではないでしょうか?

レコーディングにおいて編集やら音作りやら、サンプリングやら、アンプのシミュレーションやら、ある意味出来ない事はありません。

しかも、それらの一見便利と思われるハイパーな道具やソフトウェアを使いこなすどころか、実はその道具に使われてるというか、振り回されてやいましないかと。それと有り余る無駄な情報に。実感を伴わない無機質な情報に、

我々純粋な人間、ミュージシャンが。
振り回されている。。。


そんな事を昨日「いせや(吉祥寺の老舗焼き鳥屋)」での最も信頼し尊敬するアーティスト•ミュージシャンとの語らいで二人して思った次第です。

エモーションがない、音楽に感情がないよねって。。。

「本当に私たちの時代だよね。これからは」って。

30年たったら間違いなく上のようなことを言い訳してる人間が出てくるとすると、だから生にこだわるというのは間違いなく30年進んだ考え方、進んだ音楽といえますね(笑)wwwwwww

ま、極端な考え方なんですけどね!(笑)



生だよ生。
ドラムも生。
演奏も生。

ビールも生。

あれもこれも絶対生!(笑)

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とまあ2年以上前の記事ですけど、この記事だと

『人間の感性や表現の方がAIより優れている』という前提で書かれていますよね。

いや、2年以上経過して今思うのは感性や表現力ももしかしたらAIは人間を超えてくるのではないかな、ということ。

最近のGoogleを見ていると検索アルゴリズムであったり翻訳能力であったりに、人間の感受性を超える能力を感じるのです。それは音楽含む芸術分野でも一緒ではないかなと。

これは人間、どうしたらいいんでしょうか。

より人間らしく、美や本質に忠実に生きていくしかないのかなと。他人や情報に惑わされず。

昨日のBLOGに引き続き思ったことなのでした。

 


 

今回はレコーディングに関係のない社会的な話題。SNSにインスパイアされた。

 氾濫する情報や動画とかにどう向き合うのか。


世界最大の企業のひとつ、グーグルの検索エンジンの進化の歴史というのは「氾濫しまくる情報をいかに取捨選択して、スパム的で重複的なコピペサイトやページ、検索者のためにならない情報をいかに排除するか」、を追求してきたことだそうです。


たとえば「レコーディングの技法」として検索しても、無駄な情報や製品の提灯記事しか上に上がってこないならば、誰も検索しなくなるしネットの価値はなくなるわけですよ。


江戸前でもこうしてサイトやブログで「読んだ方のためになるかはわからないし保障も出来ない」レコーディングや音楽、ドラムについての情報をまぁ、発信してる訳ですが、大なり小なりみなツイッターやインスタで自分を発信出来る。インスタ映えというより「ネット全般映え」ということでしょう。


個人が何かを発信していくときに、それを上げるか上げないかは自由なのですが、それを「グーグル検索のAIがどう判断するか」を仮にイメージしてからにするといいかもしれません。


最近は、文章の理解力であったり読解力が人間様よりグーグルのロボットの方が上なのでは、という事をとても強く感じています。


(ドラムの上手い下手や音楽の美しさの判断も!?)


つまり、下手な事をやったり書いたり発信していると、グーグル様に相手にされなくなってしまうのです、


人に相手にされる前に、ね!


ちょっとしたSNSの出来事を見て思いました。



ちなみに次はAIが人間を超えた時どうなるか、のブログをUPします。

(だだし過去記事として。「過去」、ここ重要)

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 ラディックの営業車とともに

昨日のメタリカサウンドの補足

 昨日はメタリカのサウンドや演奏がどんなにぶっ飛んでいるか、振り切ってるかを書きました。

 

で、丁度よくドラマーのラーズの

「俺はテクニックには興味がない。

いかにメタリカというバンドのドラマーであるかに拘っている」

というようなインタビューが出て来て(笑)。

 

レコーディングにはテクニックだけでなく、音質や機材のクオリティも如実に関わってくるわけですけども、メタリカがそれを蔑ろにしてるわけではもちろんなく、スタジオやスタジアムに着いて自分の立ち位置、ドラムスローンに座った瞬間にそれが全てベストコンディションに整ってる環境にいるということは言うまでもありません。

 

ラーズがドラムの音に無頓着なのではなく、最高のサウンドや状態が「優秀なスタッフたちの努力により」既にそこにあるからである、

 

というのを忘れてはいけませんよ。

(笑)

 

 

(もちろんメタリカ側が報酬含めた最高の労働環境を彼らに提供しているからその仕事が出来ている。というのも忘れてはいけません。)

 

TOPが一見立ってないように見えるけれど、実はしっかりシンバルの裏に小さいマイクが立っていますね。

コストコに連想されるメタリカによるレコーディングでの振り切り感

コストコに来ている。まず、なにもかもスケールが違う。 

まず広い(笑)テレビから薬からタコからイカからコンタクトレンズから花からテントまで何でも箱売りしている。(笑)

 マジック20本入りとかハサミ5個入りとか、誰買うねん!(結構売れてる)一事が万事この調子でとにかく振り切りが凄い。

 お食事処のホットドッグは死ぬほどまずく、カスタードはただ酸っぱいだけだし、スムージーは死ぬほど甘い。。。酸っぱさや甘さは日本のそれとは三倍くらいの差があります。

全ての納入業者に商品のパッケージをコンテナの規格に合わせさせるチカラ技に憧憬?すら覚えます(笑)確実に他より安さ感はありますがどんぶり勘定的に見えるところも良い。

とにかく振り切ってる。 

 

これで思い出したのが何故か「メタリカ」(笑)。

 あの、賛否ではなく否定意見ばかりだった「デスマグネティック」の超極端な大音圧汚れマスタリングや、古くは「メタルジャスティス」のベースの極端な小ささ。「St.anger」のこれまた極端なスネアの高次倍音。

誰に何言われようとシラネー、俺らのカッコいいと思ったことしからやらん! 

 みたいな振り切りにコストコに似たアメリカ文化を感じます。

 「味噌汁の具?そんなにいらないって?

シラネ」 

みたいな。 

 

ラーズ『なに?僕のドラムがよれているって?

全くナンセンス。お前はグルーヴのクの字も知らん、うせろ』

 

とか言ったとか言わないとか。。。(笑)

 

 

 こういう振り切ったレコーディングを是非してみたいし、そういう振り切ったアーティストほど今求められる気がします。

 

 ギターウルフ的な。

 

 

レコーディングでのミュージシャンの自信のなさと自身に対する度量の話し。

ミュージシャン(特にアマチュアに多い)にはよく謙遜してなのか、それが日本人の美徳なのかわかりませんが

「いまの演奏、良かったのか悪かったのか、自信がない。」

「いまの歌、まぁ歌えてるけどピッチが不安定なところが多く、いい歌に思えない。」

「勢いがあるドラムだけど最後少し走って雑な感じになってるのがどうしても嫌でやりなおしたい」

等々でゴネる人がいます(笑)。

 

そんな時周りのメンバーやスタッフは

「いやいや、そこを含めとってもいい演奏だからこれで行こう!これが最高」」って思ってることが圧倒的に多いのですが、その周りの人がいいと言ってるのに耳を傾けないような「人格」がその人の素晴らしい音楽性に傷をつけてる状況にレコーディングでは良く遭遇します。

 

みんながいい演奏だったと気持ちよくなってるのに、ひとり反対するかのように自信がないとか単に演奏の精度がとかで、水を指す。

 

これはレコーディング自体のムードを悪くするし、周りの人間から見ても作品のイメージをとても悪くする行為。

 

なんて勿体無い人なんだろう。。。 

 

ドラムに例えるならば、そのちょっと走るぐらいの前のめりなビート感がとても魅力的で個性になっててカッコいいドラマーがいるとすると(もちろん日頃もっといい演奏が出来るように努力してるドラマーであるとして)、

「うん、少し走ってるけどこれはカッコいいよね!」と、言える人格な人だととっても器が大きなミュージシャンぽくてカッコいい。

 

しかし、

 

「いや、あそこのこの部分が◯◯で。。。」なんて、自分に対しての度量が小さい人だったりするとほんとにその人の音楽までつまらなく思えてきてしまう勿体無さ。

 

ドーンと自信持って構えてるミュージシャンと、自信なさげにチマチマやってるミュージシャン。どっちが素敵ですか?と。

 

たまーにそういう残念なミュージシャンがいるので、注意したほうが自分の為ですよ。

 

人が良いって言ってくれてるのを受け入れて「ダマされる」能力を持ったミュージシャンのほうが音楽もプロジェクトも上手く行ものです。 

 

※スタジオミュージシャン系の現場だとある意味真逆で、周りがいいと言えばそれで万事オーケーという場合が比較的多い。けどもちろんその中でも音楽をちょっとでも良くする為にストイックにテイクを重ねる人がいて、それは現場の性質にもよりますが、ある程度テイクを重ねて「いろんなアプローチを試してくれる人」の方が逆に信頼出来るってのもあります。

 そこの現場での物事の進め方こそ実はプローデューさの度量だったりするわけですが。

一発オーケー当たり前のミュージシャンだけど時間に余裕持ってスケジュールを組んでいるか?とかね。。。 

音楽は走ってるから録音しよう。

 昨日のブログでは

「音楽は走っている」

と、書きました。


それはレコーディングスタジオでの演奏のテンションは常に移ろう、という意味ではありましたが、実はもっと大きなスパンでも走ってると言えます。


例えば、ただのリスナーであった人がなんかのバンドやミュージシャンのyoutubeとかに衝撃を受けてものすごく「うおードラム始めたーい!いますぐドラム買いたい!!」「ギターだ!時代はギター。ギター欲しい!いますぐやりたいーーー!」。て思ったとしますね。いわゆる初期衝動。


これってある意味そのミュージシャン(それをきっかけにその楽器を始めるとしたら)は全速力で走ってる瞬間なわけです。(笑)


パンクバンドとか高校生バンドてのは、この初期衝動的な「佇まい」「様子や雰囲気」がとても大事で素敵だったりするわけですね。


「うわー、演奏はズレズレだしたまに、間違ってるし。。。

けどなんかすげえかっこえええ!」


極端ですが「この、高校生にしか出せないような純粋な感じ。初めて同級生のあの女子とデートするみたいなテンション感。あの初キスの初◯◯◯のドキドキ感」


みたいなものが、パンクや高校生の音楽だけに限らずどの世代やどんな経験のあるミュージシャンにも、人生にはその都度あるはずなんですよ。極端な話し。それはなんのジャンルでも関係なく。


それは、そういうシーンというのはそのミュージシャンが「走ってる」からだと思うんです。


つまり、


よく、レコーディングするにはまだまだ経験が浅いので。。。レコーディングするほど上手くないので。。。


バンド結成したばっかだからもうすこしまとまったら。。。


というのはもったいない!

ってことなんですよ。


実はその未完成で不完全な「走ってる」状態こそレコーディングに残すべき音楽的な一瞬。上手く言えないけど、今はわからないかもしれないけど、何年何十年経った時に「残っててよかったこの写真」「懐かしい」「この時代があったからこそ今の自分の演奏や地位がある」

と、思えるわけだし、それは「そん時しか録音できなかった」尊い音楽なわけです。その下手だけど全力疾走してる様子をレコーディングする経験というのは、死ぬ程財産になるというのだけは言っておきましょう!


だから、録れ!録ろう!録るべきだ!


しかもなるべく同時録音で。

いや、初めてのレコーディングほど同時でやるべきです。

一生に一回しかないチャンスとシーンを濁らせてはいけない。。。


別々に録れば録音のクオリティが上がるかどうかはまったく違う話しであって。(これは蛇足でした(笑))

『走る音楽』。それはレコーディングで捉えるべきモノ。

「走る音楽」

みんなが意外と知らないのは「音楽が走ってる」ということでしょう。特にレコーディングにおいてはそのすぐ走り去る音楽の決定的瞬間を確実に捉える必要があります。つまり同じように演奏していてもテイクを重ねると鮮度が落ちてくる、だから精神が最も乗っていて集中力がある迫真の演奏を確実に録音、作品化しなければならないということですね。


これは昭和の写真の大家土門拳の「走る仏像」という名文より頂戴・インスパイアされた言葉。

以下引用:::::::::::::::::::

仏像は静止している 伽藍は静止している
もちろん境内の風景は静止している と だれしも思うだろう

わたしも長い間そう思っていた

ところが或る日
宇治の平等院へ撮影に行った帰り鳳凰堂に別れを告げようとして振り返ってみたら
茜雲を背にたそがれている鳳凰堂は 静止しているどころか
目くるめく早さで走っているのに気がついた

しばし呆然としたわたしは 思わず「カメラ!」とどなった

すっかり帰るつもりでいた助手たちは
げっそりした顔でカメラの組み立てにかかった
その間にも鳳凰堂は逃げるように どんどん どんどん走ってくる

「早く 早く」とわたしはじだんだ踏んだ
そして棟飾りの鳳凰にピントを合わせるのももどかしく
無我夢中で一枚シャッターを切った

たった一枚

土門拳

引用終わり::::::::::::::::::::::::::::::

 

土門拳は写真の鬼と言われる不世出の芸術家。
彼の仏像写真はホンモノ以上にホンモノであり、今にも動き出しそうなリアリティがあります。

その氏が言うには、止まってるはずの仏像やお寺・伽藍にもさらに決定的瞬間があるということなんです。

知識としてやリスナーの経験として皆さんも音楽には鮮度がある事ということは知ってるかもしれませんが、音楽を実際演奏している者にしかわからない、した事のある者にしかわからない厳密な瞬間というものがあって、レコーディングとはエンジニアやスタッフも一体となり、その瞬間を捉える必要があるのです。

演奏者がベストなタイミングとテンションでその一瞬に達するように、そしてその瞬間を確実に捉え録音し、リスナーとCDを買ってくれるお客さんに届けるのが、レコーディングスタジオの仕事であり、音楽業界に携わる人間の仕事といえませんかね。

ミュージシャンはただ漠然と演奏すればいいわけではない。
エンジニアもただ単にマイクを立てて録音すればいいわけではない。

出来の悪いスタッフが狭いスタジオの中を『走りまわってる』ような非効率の中ではそれを捉える事は無理に近いような気がします。

(もっと広い視点で言うと、バンドが走っているというのもあります。バンドの状況やコンディションやテンションは移ろいやすいという事。状態の良い時期にレコーディングは瞬間的に敢行しなくてはならないんです。で、これがバンドの運営で最も難しい。。。)

 

どの一瞬の鳴りを録音するのか。。。。。。最高の1音を捉える難しさよ。

どの一瞬の鳴りを録音するのか。。。。。。最高の1音を捉える難しさよ。

人生最高の音楽体験は無音だった話し

あれは大阪で芸術を学ぶ苦学生だった1994年10月7日のこと。目の前に神が現れたいや、阿弥陀如来が現れた経験があるのです。

 

山形から大阪という大都会に出てきたならば、まずやってやろうというのはクラシックコンサート巡りであります(笑)

それはアルバイトして稼いだなけなしの3万をぶっこんで観に行ったクラウディオアバド指揮のベルリンフィルハーモニーオーケストラ。

 

曲はマーラーの9番のみ!これが長い!

 

まぁ、それはいいとして

「三万払うのにマーラーかよ。くっそ。マーラー難しいんだよな」

 

というのが第一印象(笑)酷い。

 

場所は日本初の残響3秒を誇る大阪シンフォニーホール。

ここの残響が本当に素晴らしい。ここでベートーベンの方の9番の合唱を歌ったことがありますが、それはそれは素晴らしい経験でした。

 

いや、マーラーの9番ですが、その長い曲の最後の終わり方がいわゆるベートーベンの9番みたいに「ジャジャーン!♬。うおおおぉブラボーー!!!」みたいなのとは正反対で弦楽隊が少しずつ少しづつ小さく消えていくというもので。

 

ベルリンフィルとアバドというと世界最高峰で、それを聴いてるという贅沢感もあり三万も出してんだぞ!というビンボー臭さもあり、非常に集中して音楽を楽しんでたのです。

 

そんな中、マーラーの9番なんてどんな曲かも知らずに聴いてるわけですけど、曲が終わるに従って物凄い緊張感がホール全体に漂ってきました。

超満員で2000人以上はいたでしょうね。

 

旋律がどんどん小さくなってゆく。どんどんどんどん小さくなっていき、最後はなんの音もしなくなる。しかしまだアバドは指揮棒を降ろしていない。楽団員の弓は全て揃い停止してい、満場のお客さんも物音一つ立てず全ての神経がその音楽に注がれている。

 

しかし、まだアバドは指揮棒を降ろしていない。

 

けれど音はしない。

 

まだ、降ろさない。

 

誰も音をたてず息すら止めるように

 

「死を受け入れる」ような静寂。

 

 

そこには確かに、死の瞬間に目の前に現れるという阿弥陀如来が来迎していた。。。

 

音が消えてアバドが指揮棒を降ろすまで何秒あったのかは最早確かめようがない。

けれどそこに最高に美しい「無音という音楽」が神々しく存在してい、そこにいる全ての人間がその無音という「最高の音」に酔いしれていた。

 

マーラーがその譜面に記した

「死にゆくように」。。。

 

死の瞬間は物凄いアドレナリンが出るというか脳内モルヒネみたいのが出るらしく、最高に快感だといいます。

それは、死は怖くないという生物としての知恵というか自然の摂理を受け入れるための仕組み、セックスの快感のようなものでしょう。

 

あきらかにその瞬間、シンフォニーホールにはそのアドレナリンと快感が充満していた、

 

それこそ死にゆくかのように。

 

 

あの時の無音ほど素晴らしい音楽体験は他には人生においてありません。

その後の僕の音楽観に物凄い影響を及ぼしました。

 

指揮棒を降ろした瞬間大嵐のような拍手と声援。

 

しかし、ホールの席を後にする客らは全員脱力したような涙顔で誰も会話をせず、本当に余韻に酔いしれてい、その場にいた全員があの世で一体化したかのような、不思議な空間がそこに現れていました。

 

この経験だけは本当に衝撃的でいまだに忘れられませんよ。。。

 

 

やっぱり三万払った甲斐あったわ。

(違)

 

地下鉄のBGM問題に発し、このことを思い出したのでした。 

 無音という美、これは日本や西洋に関わらず絶対にどこにでも本来あるべき価値観であるはずです。

 

(もっと文才があればもっと美しくこの光景を伝えられたのに。。。泣)

音楽は産業廃棄物以下?

とある回転寿司に来ている。 

席がバックヤードの側なので裏側が見える。ものすごくテキパキと働いているがとてもその動きは雑だ。昨今のAIを搭載した工業ロボットよりはかなり雑。

今朝、産業廃棄物を選別するAIロボットの話しをNHKで見た。素晴らしく美しい動きでゴミの分別をする高性能ロボット。

 

しかし、今目の前で働いている回転寿司屋さんのアルバイトと思しき人間の動きと仕事は。そのゴミ分別ロボットより粗雑で出来上がって来たモノもとても食べ物に見えない。

 

扱ってるのは 食品だよ?

 

その寿司?の扱いに驚きを隠せないのもあるし、 

ひょっとして我々音楽業界の人間もそのように音楽や「人」を扱ってるように思えて、悲しくなる。 安い値段でコキ使い、人が演奏したものを良しとせず素材として扱うのみ。人が人らしく音楽が音楽らしくあるためのレコーディング手法や環境とはとても思えない現状。。。そして機械の都合や尺度で演奏や音楽を改編する。

とてもじゃないけど、丁寧に音楽を料理して お皿に並べてるようには感じられない時がある。

それはその回転台を回る粗雑に盛り付けられた「寿司のような物体」と同じくらい粗雑な音楽が多ような気がしてしょうがなからです。

 

そのロボットが扱うゴミ以下の扱いで作られた寿司のようなモノを行列して喜んで食べてるというなんというかその、人々の感性の退化や安いことが何よりの正義みたいな社会風潮に本当に悲しさが溢れたのでした。。。

 

 音楽くらいは愛情を掛けて作っていきたいもんです。

 

IMG_7276.JPG

一音一音に立ち向かう尊さよ

音楽や音楽業界というのは派手な側面ばかり注目されがちですね。

 

何百万枚売れたとか、〇〇で一位取ったとか、〇〇のツアーでドームだ!とか。そりゃもちろんある意味そういう音楽活動はメインストリームではありましょう。

 

しかし、世の中にはそういう派手さはないものの地道に音楽の美しさ、一音一音の尊さというようなものを追及している人たちや分野があるのはいうまでもありません。

 

ドラムは沢山のパーツから出来ていますが、そのチューニングボルトの精度に命をかけて作っている工場の人なんてのもおられるわけで、そういう人たちに支えられ音楽は成り立っている。

 

今回はものを大切にしろという話ではないけれども、自分を見つめ自分の中から出てくる感情や精神をみつめ、一つの音や音色に命をかけてやっている演奏家やそういう音楽もあるということを、ドラムやポピュラーな音楽をやっている人たち特に若い人たちに知ってもらいたい、というかそういう人もいるというのを「意識してほしい」ですね。無理に聴けとは言わないまでも。

 

歴史が積み重ねてきた音楽文化、ドラムのフレーズやリズムパターン、楽器の仕組みひとつ取っても先人の蓄積を拠り所にしています。

この時代、もう奏法や音色、音の組み合わせや作曲技法•ミックス技法なんてのは出尽くしているとも言えます。

 

けれど、たからこそ音楽の原点に立ち返り音楽をどう表現するか、どういう音色であるべきか、またその音色をどうやったら出せるのか。美しい本来の姿の音楽とはなにかを考ているひとも沢山いますし、また、楽器製作者や音響技術者等にも、いい音やいい録音や再生とは何かを常に考えている人は、少ないかもしれませんが必ず一定数いて、その人たちが音楽の基本的な美学を今や下支えしてるといえるのです。

 

短絡的な情報や意見、派手さばかりでコンビニエンスな安さの音楽業界では音楽はもはや死に体と言えるでしょう。

 

音楽は文化であり芸術。

 

このような最早こっぱずかしくなるのうな忘れられた事実を今一度振り返ってみなくてはならないのではないでしょうか?

 

江戸前さんはご存知のように(笑)怖いだの失敗をゆるさなそうとか、下手くそを相手にしないで怒られそうとか思われてるらしいですが、全くそんなことはございません。

 

むしろ純粋な気持ちで音楽をする人ならば保育園児ですら愛おしく思うのです。

 

ヒットチャートに上がる、フェスに出れるようなバンドや音楽ばかりが音楽ではないと常々思っています。

 

楽器やジャンルや経験値、売れてる売れてないで音楽を考えるほど馬鹿げてることはありません。

 

レコード大賞取るような音楽から、個人の記念品だったりアーカイブだったりするような商業規模の小さい音楽まで、分け隔てなく「どれも正しい音楽」として接していくのが僕の音楽への考え方です。

 

どれも好きで聴きます。

奥嵯峨、落柿舎から常寂光寺方面を望む。誰もいない静かななか歩みつつ考えるのは音楽のことばかりなり、なのでございました。

奥嵯峨、落柿舎から常寂光寺方面を望む。誰もいない静かななか歩みつつ考えるのは音楽のことばかりなり、なのでございました。

間違ったドラムのmix処理のカタログ

いい音ってのを少しづつでもわかっていただくのを最近のテーマにしている江戸前ですが、今日は『音楽性とかmixアプローチとかセンスは色々あるけど、明らかにこれは音を悪くしているだけのドラムの処理』をご紹介していきます。(なんちゅう企画,,,)

標準的にいい音をまず聴いていただいた後に、8パターンのよくないDrumのmixをつなげてみました。まづはどうぞ。

1. 0:00 <プレーンないい音>

2. 0:21 <細くしょぼい音>

3. 0:42 <帯域が狭くなっちゃった音>

4. 1:04 <広がりがなく立体感がない音>

5. 1:25 <マキシマイズしすぎて厚みが無くなった音>

6. 1:46 <アタック成分が出過ぎで不自然な音>

7. 2:08 <アタック成分がなさすぎてノッペリした音>

8. 2:29 <サステインを切りすぎて不自然な音>

9. 2:51 <デジタル的に汚く音声スペックの悪い音>

10. 3:12 (再)プレーンないい音

さぁ1個1個解説していきましょう

1. これはNO EQでドラムのトータルにうっすらコンプを『まとまり感』を出すためだけにかけている音です。(単体にコンプはかけていません) ダイナミックで自然で、広がりもありオーディオ的にも『いい音〜〜〜』って感じだと思いますよ。どうすか??

2. 0:21 <細くしょぼい音> これは大きすぎるレコーディングスタジオで録った音に近いですね(単純に劣化しているだけの音)。とにかく細い、しょぼい。。。mixによってこうなってしまっているときは主に、『抜けを重視したくて』LOWやLOWMIDをカットしたというのが多いんではないでしょうか?しかし!じつは『抜け』というのはそういうことではないんですよ!なんで抜けさすのに細くすんねん!(笑)

3. 0:42 <帯域が狭くなっちゃった音> これもなんでかしりませんが、機材の根本的な品質の問題でしょうか、LOWエンドとHIエンドがなくなっている音。けどHIがないのをなんとかしようとして逆に痛い音になってますね。12kHzあたりをむりやり上げてもその上の帯域が存在しないなら、ただの痛い音でしかありません。こういう音は現代のドラムサウンドのメインストリームとも言える音です。一個前の2もとても多いですけど(笑) もちろん帯域の狭いかっこいい音というアプローチもありますよ。けどそれとは意味が違います。もしわざと古いレコードの音とかの感じを目指すならもっと思い切って帯域を狭くしないと全然ダメです。

4. 1:04 <広がりがなく立体感がない音> これもアプローチとして半端です。近い感じにしたいなら別の方法がありますし、単に各パーツの立体感を消してしまっただけのリアリティーのない打ち込み的な音。

5. 1:25 <マキシマイズしすぎて厚みが無くなった音> 迫力を出したくてとか、ドラムを前に出したくてとか、張り付き感が欲しくて等で、なぜかマキシマイザーをかけすぎた勘違いした音。そういう音にするためにマキシマイザーをかけるのは本当に間違ったアプローチです。ドラムには絶対(笑)。ただ、楽器によっては軽いマキシマイズは『効く』こともありますが。

6. 1:46 <アタック成分が出過ぎで不自然な音> あまりお目にかかりませんがたまにあります。これも抜けさせたいからやってしまうやつです。厚みのあるアレンジでのmix全体のなかで、kickやsnのアタックが欲しい場合にたしかにアッタクだけ上げる処理は重要になりますが、これはもう崩壊しています。しかし本来、アタック成分とは本来mixで作るもものではなく、楽器の選定とチューニングそして叩き方で決まります。

7. 2:08 <アタック成分がなさすぎてノッペリした音> これをわざわざやる人はいないかもしれませんが(笑)、2.と同じく広すぎるレコーディングスタジオで録音したものをいじくりまわすとこういうことになってしまう可能性があります。マイクケーブルを引き回しすぎるとアタックはどんどんなまっていきますし、位相がわるかったりするとこうなりますね。ま、あくまでもこのsample音は『mixで作ってます』が(笑)

8. 2:29 <サステインを切りすぎて不自然な音> これもやりがち。。。。抜けがほしいのですか?分離が欲しいのですか?アッタクですか?そうですか(笑)。こういう音にするなら楽器のチョイスとチューニングやミュートで作ってください。これではドラムの音が『崩壊しています』 ※ま、録音時に戻れなくてどうしてもこういう音が欲しいときはアリではありますが。あともう一点、この音色の短さですとこのグルーヴとリズムパターンに合わない感じがします。もうすこしリリースがあった方が。。。

9. 2:51 <デジタル的に汚く音声スペックの悪い音> もうこれはどうしてこうなるのか的な。。。。。単に機材が悪すぎたりクロックが悪かったり、pluginかけすぎだったり、色々ですが。これはどっからどう見てもいい音とはいえませんね(笑)

ま、Soundcloudのストリーミングでこういう解説してもなんか矛盾すら感じますけど。。。。

10. 3:12 (再) <プレーンないい音> あぁ、ほっとします。ダイナミックで艶もあり、生々しく立体的で抜けもいい。。。。

 

ところで気がついた方もいらっしゃるかもしれませんが、COMPを掛けて作った音は除外しています。COMPを掛けた音で失敗しているのも数多く見かけますよ、そりゃ無限に。しかし、COMPによる音色操作は好みや意図や音楽性、また他とのmixバランスによって正解不正解が非常に主観的なのでこれはダメ!と、決めつけるのは無理があるので除外しました。

で、世の中のDrumの音はさらにもっと悪い場合が多いです。ご紹介した音源、プレーン状態を聴くと分かりますが非常にチューニングがバッチリで叩いている人も非常にうまいです。よく楽器を鳴らしていますし。ほんとに悪い音のほとんどは、このmixのいろんなダメさに加えチューニングも楽器の状態も悪いことがほとんど。

こうしてみますと『いい音』ってどんなモノなのかわかって頂けたかは別にして、『いい音にするのは』難しいということだけはわかっていただけましたかね。。。。。。。

ドラムの音はmixの基準です。このように間違った音にしてしまうと他の楽器は『ドラムに合わせてゆく』ことになるので仕上がったmixは本当にひどくなりますので、注意してくださいね〜〜〜。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『着崩れない』はいいドラムサウンド

最近、着物の女性を写真に撮らせて頂く機会が多いのですが、まず着物の写真を撮るには「朝の着付けとヘアセット」から始まります。

都内ですと主に銀座界隈の職人さんのところに行ってお願いすることが多いですね。

 

銀座ですと、土地柄日頃夜のお仕事のママのセットをやってらっしゃるわけで仕事にもそりゃ厳しい(当たり前)。食からブランドからなんでも一流な街ですからね。

で、一通り写真撮って夕方になりますと。だいたい会話になるのは。

「やっぱプロの着付けは崩れないわ。全然襟周りや帯周りが朝のままやし」

 

これです。ヘアセットしかり。

 

着物は凛として美しくあるだけではなく、その着ている女性の気持ちいい緊張感を一日中キープさせる役割もある。

だから、着物さんの方から崩れるわけにはいかないのですね。

これこそまさにプロの仕事。

 

ただパッと見で美しいとか表層だけカッコいいというのではそれはプロの仕事ではありません。

包丁一つとっても何年も何十年も研いで使っていけるか?(ここは包丁職人や鍛治師の丁寧な鉄を鍛える仕事にかかっているわけで)

 

木造建築は何百年持つ。現代建築はせいぜい何十年ですよ。なんでよ?(京都東寺五重の塔遠景、1644年の再建の5代目建築 photo by EDo-mae)

木造建築は何百年持つ。現代建築はせいぜい何十年ですよ。なんでよ?(京都東寺五重の塔遠景、1644年の再建の5代目建築 photo by EDo-mae)

 

ドラムにしても長いあいだのパワーショットに耐えられる構造なのか?長い年月で歪まない木材を丁寧に加工してるのか。。。。ギターならネックは長年にわたりまっすぐに安定できるか。。。

(ソニータイマーのように、時間が来ると壊れる設計になってるのは論外です! だからソニーは凋落した)

 

音楽や写真でも何年何十年たっても鑑賞に耐えられるか?いつまでもエバーグリーンでいられるか、です。

 

どうせなんか作るなら長い時間を使ってもらいたいじゃぁないですか?で、そこにはモノへの愛情と丁寧さが必須になってきます。

 

音楽作りってそういうもんです。

 

ちなみに、ドラムレコーディングでいいますと、しっかりレコーディングされたドラムサウンドというのは、

ベース→ギター→キーボード→ボーカル→コーラスetcと音を重ねていくほど何にも処理しなくてもどんどんいい音になっていくんですよ!

 

知らないでしょー?(笑)

 

これは時間が経っても全く崩れてこない一流の着付けや髪結いと一緒なんです。

 

そういうものはプラグインとかでは作れない。

そして化学調味料では作れないというのは、なんとなくみなさんもお判りになるのではないでしょうか。

ま、化学調味料の塊の『日清カップヌードル』みたいなのもありますけどねぇ(笑) これも永遠であります。。。

 

 

音楽における儀式性とはなにか。※ドラムチューニングであったり

音楽というのは、古来神様に捧げるモノだったり偉い人に捧げるモノであったのがルーツだと思います。

 

クラシックだとルーツの一つであるグレゴリオ聖歌は神へのささげもの(教会の長く深い響きに神性を感じていた)であったし、まあゴスペルやレイエム的な鎮魂歌も。日本の音楽だと声明あたりがルーツになりますがつまりそれは簡単にいうとお経なわけです。

お祈り前に線香をくべることもひとつの伝統的儀式と言えましょう。。。photo by EDo-mae

お祈り前に線香をくべることもひとつの伝統的儀式と言えましょう。。。photo by EDo-mae

 

このように敬虔な気持ちになりながら演奏するのが本来の音楽の姿。

 

レコーディングの歴史を振り返って見ても録音というのは「魂を吹き込む作業」でした。

 

例えば、マイク一本で歌もオケも全て録音していた時代があったのです。

それはそれは本当に儀式的というか。

 

一番偉く若く美しい「美空ひばり」さんがマイクに一番近い正面に立ち、音量バランスごとにその後ろに楽器隊を配置して全員で「まるで祷るかのように」録っていた。それはまさに!儀式。

言いかえれば緊張感をレコードに込める作業。(ちなみにその頃のレコーディングエンジニアは白衣を着て科学者のようであったのです。ちなみに科学は神を追い求める行為といいます。)

 

 

芸術には緊張感がつきものです。

 

僕は無くなったおじいちゃんに小さいころ習字を習っておりました。

おじいちゃんは「習字とはまず精神の問題、集中の問題である」と常々叱られました。

何故簡単な墨汁を使わずわざわざ墨を摺るのか?それは、硯に対峙し正座をして静かに墨を摺ることでこれから書く一文字一文字に対して精神を統一するという儀式でもあったわけです。

 

例えば仏壇に先祖代々伝わる過去帳や写経では1文字の間違いも許されません。つまり集中しなくてはならない。

 

現代においてはこの緊張をコントロールする過程が多くの場合見事に省略されています。「便利さやテクノロジーの優位という錯覚」において。

ハードディスクレコーディングしかりデジタルカメラの撮影しかり、間違いはすぐ訂正できますから、余計な緊張はいらない。(ここがアドバンテージでもあるけれど)

 

しかし、音楽の話題に戻ると本来音楽を演奏するというのは、このように常々緊張感を伴うものです。その緊張感があるからこそ美しさやリラックスを表現できるのです。

そう、緊張感を制御してこその芸術としての音楽であるわけです。

 

 

それでは現代の演奏におけるその緊張感のコントロールという儀式とは?

 

一つは演奏前に心を整える事としての「変身」。

つまり化粧であったり舞台衣装に着替えること。

 

演奏前実際そのメイクアップを受けている時間、着物での演奏ならその着付けをしてもらっている時間に演者は精神統一してどんどん集中してゆく。

 

その精神を高めることに集中する為のメイクさんであり着付け師さんであるわけでしょう。

 

特にメイクや着付けは専門的になればなるほど非常に難しいモノです。

だからプロフェッショナルに頼むのです。

着物を着る演奏家が本場前にどうしても自分で着付けなくてはならない場合、どんなに日頃着物を着慣れていてもかなり焦るそうです。何度も帯を巻き直したり。。。

それでは演奏に集中できるわけがありません。

 

普段やってることでもガチの本番前には専門家に頼むことの意味とはまさにそういうことだと思いませんか?

また、専門家や職人の仕事や所作は美しくそれ自体が儀式性すら感じさせるもの。。。

例えば一流のドラムチューナーの仕事。無駄ない動きで即座に求められる音をしあげていく。セッティングも美しく。。。。

 

レコーディングエンジニアの仕事とて一緒なのです。

例えエロい下ネタをダベりながらであっても。(そのダベりがミュージシャンのリラックスを誘うというのも当然計算済みであるわけですし)。

 

チューナーのson4さんがこないだ言ってました。ドラマー自身はチューニングが出来るにこしたことはないし、いや出来るべきであるが、大切な時こそは専門家に頼むべきだ、という趣旨の事を。

ドラマーは着物の柄や帯の色合いの好みをそのつど持つべきです、絶対。しかしそこをチューナーに丸投げしてはならない。だから本人もチューニングが出来てそれを理解してるのは最低限のベスト。

けど実際の着付けたるチューニングは大事なレコーディング前や本番前こそ専門家に委ねる。

それが演奏者の精神統一の仕方であり一種の儀式とは言えませんか?

 

それはレコーディングエンジニアの仕事しかりかと思います。

 

そういうことを考えて常に僕は仕事してますね。

おっぱいの話ししてるうちにでも美しく音が出来上がってるのがドラムチューナーさんやギターテックさんであり、レコーディングエンジニアなのです。

 

あとは演奏するだけ!!

それがいかに素晴らしいことであるか。。。。。。

 

 

ちなみに化粧が濃くて有名な僕の師匠は言ってましたね。

台風かなんかで次の公演地に遅れる。しかしどんだけ遅れようと、しっかり「変身」しなくてはならない。

けれどどんなに焦った気持ちや不安な気持ちでもその「変身」することにより精神を統一することが出来る。

 

これはこの「格好」で良かったことの一つであると。

 

 

演奏前の全ての流れは精神統一をするための儀式である、そう捉えると良いかと思います。

それは全て音楽そのものの為、演奏する自分の為です。

 

一刀三拝。仏像を掘るさい一刻みするごとに三度礼拝すること。。。そこまでは言いませんけれど。

一音一音を大切に、音楽に向き合うこと。。。。。

 

そういう特別感がないのが音楽を面白くなくさせている最大の理由のような気がします。

手軽すぎるのです。それはリスナーの聴き方のスタイルもでしょうけど。

 

晴れの日に着付けをプロに頼むのも一緒。大切な日にいかに美しい自分であるか。。。

そりゃ逃げられたら全て台無しですけどね(笑)

 

本来のプロフェッショナルはどんな状況や要求からも逃げないものだと思います。

 

今年一年も江戸前ではそういうことを緊張感をもって念頭に置き、レコーディングを頑張っていきたいです!