「走る音楽」

みんなが意外と知らないのは「音楽が走ってる」ということでしょう。特にレコーディングにおいてはそのすぐ走り去る音楽の決定的瞬間を確実に捉える必要があります。つまり同じように演奏していてもテイクを重ねると鮮度が落ちてくる、だから精神が最も乗っていて集中力がある迫真の演奏を確実に録音、作品化しなければならないということですね。


これは昭和の写真の大家土門拳の「走る仏像」という名文より頂戴・インスパイアされた言葉。

以下引用:::::::::::::::::::

仏像は静止している 伽藍は静止している
もちろん境内の風景は静止している と だれしも思うだろう

わたしも長い間そう思っていた

ところが或る日
宇治の平等院へ撮影に行った帰り鳳凰堂に別れを告げようとして振り返ってみたら
茜雲を背にたそがれている鳳凰堂は 静止しているどころか
目くるめく早さで走っているのに気がついた

しばし呆然としたわたしは 思わず「カメラ!」とどなった

すっかり帰るつもりでいた助手たちは
げっそりした顔でカメラの組み立てにかかった
その間にも鳳凰堂は逃げるように どんどん どんどん走ってくる

「早く 早く」とわたしはじだんだ踏んだ
そして棟飾りの鳳凰にピントを合わせるのももどかしく
無我夢中で一枚シャッターを切った

たった一枚

土門拳

引用終わり::::::::::::::::::::::::::::::

 

土門拳は写真の鬼と言われる不世出の芸術家。
彼の仏像写真はホンモノ以上にホンモノであり、今にも動き出しそうなリアリティがあります。

その氏が言うには、止まってるはずの仏像やお寺・伽藍にもさらに決定的瞬間があるということなんです。

知識としてやリスナーの経験として皆さんも音楽には鮮度がある事ということは知ってるかもしれませんが、音楽を実際演奏している者にしかわからない、した事のある者にしかわからない厳密な瞬間というものがあって、レコーディングとはエンジニアやスタッフも一体となり、その瞬間を捉える必要があるのです。

演奏者がベストなタイミングとテンションでその一瞬に達するように、そしてその瞬間を確実に捉え録音し、リスナーとCDを買ってくれるお客さんに届けるのが、レコーディングスタジオの仕事であり、音楽業界に携わる人間の仕事といえませんかね。

ミュージシャンはただ漠然と演奏すればいいわけではない。
エンジニアもただ単にマイクを立てて録音すればいいわけではない。

出来の悪いスタッフが狭いスタジオの中を『走りまわってる』ような非効率の中ではそれを捉える事は無理に近いような気がします。

(もっと広い視点で言うと、バンドが走っているというのもあります。バンドの状況やコンディションやテンションは移ろいやすいという事。状態の良い時期にレコーディングは瞬間的に敢行しなくてはならないんです。で、これがバンドの運営で最も難しい。。。)

 

どの一瞬の鳴りを録音するのか。。。。。。最高の1音を捉える難しさよ。

どの一瞬の鳴りを録音するのか。。。。。。最高の1音を捉える難しさよ。