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美しさを感じるちから

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「美しさを感じる力」というのがあって、それは人により違うんだけど、人格はもとより経験や努力によって更新できる。例えば音楽なら我慢して何回か聴いてみるとか。それはその創作した相手に対する敬意や尊重の有る無しでもある。 何事も心に「開放」とか「謙虚」があると美を感じる能力は上がる。

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とても嫌いだったモノが好きになるということがあります。

自分の場合そういうことが最近ありまして。
それはとある写真家さんでした。

まず作風が派手すぎて色彩感もデリカシーがない感じ(笑)、とにかく控えめさや『抑制』『陰影』がなくとにかく性にあわない写真でしたよ。

ただ、その1枚1枚を撮影するのにはものすごく手間や金、技術が使われていることは一目瞭然でなぜか『気にはなる作風』だったのです。
そこでいろんな本で彼の作品の「作り方や考え方』を読んでみたところ、いろいろ感銘を受けることが多く。。。。。。

そう思った瞬間からなぜかその彼の写真を観れるようになり、嫌いではなくなっている自分がいました。
『それこそが”独自の世界観”である』と。その人自身の努力や人格や信念によって生み出された写真なのです。

不思議なことです。


嫌いな考え方や作風や色彩、表現、理念でも実際ちょっとでも心をひらいて触れてみるとその魅力に気がつくことができるかもしれない。
つまりそのことによって『自分の世界が広がり、引き出される』。

歳を重ねてくるとほんの5歳くらい下の人たちの価値観が理解できないことがあります。音楽でもドラムプレイでも。レコーディングのやりかた一つとってみても。
けどそれは心掛け一つで理解し合えることかもしれない。

そう思うと世界中の人たちが仲良くできるかできないか、宗教や政治にもそういうことが言えるのかもしれません。

色々な『美しさ』を感じられる自分でいることが、他人の意見や美学に柔軟に接することができる自分でいられることが、自分にとって一番『得なこと』だと言えませんか、ね。

道端の1輪のたんぽぽのやうなものに『かわいい』と感じられる方が、日々幸せだよ。

 

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モノを大事にすることは、人を大事にすること、音楽を大事にすること。

 本年の、最終ブログ。

 

モノを大事にすることは、人を大事にすること、音楽を大事にすること。

 

今年もいよいよ最終日になりました。ほんとに色々、様々あった一年。

 

江戸前では、年初めには古典琵琶楽を現代最先端のドラムやリズムアプローチと融合させたYUIKO MIZUSHIMA AND THE BIWA INSTITUTIONの「BIWA AND LIPS」をリリース。また神田リョウとTRIPによるループ集もリリースさせて頂きました。どちらもとても高い音楽的評価を頂きました。(ループ集については来年早々アプリの発売を予定しています)

 

最近は江戸前のツイッターはドラムや音楽よりも写真の内容が多いのですが(笑)、音楽も写真も全く同じ性質のモノだと感じています。

また、カメラやレンズは楽器そのものと言えます。

 

特にレンズは楽器と同じように、写りつまりサウンドの流行りはあろうと100年使えます。実際僕も父親から譲り受けた50年モノのレンズを今もメインで大切に使っています。

また、江戸前には100才に近いスネアもあります。

 

その何十年も100年も大事に受け継がれる「モノ」。そこにとても深い魅力を僕は感じます。大切に設計され製造され使用され、親から子供へミュージシャンからミュージシャンへ受け継がれてゆく楽器。(もちろんカメラやレンズも)

 

江戸前で大切にお預かりしているとあるドラムセットは、今や一流のドラマーになった彼の幼少の頃に父親が誰かから大切に譲りうけたビンテージで、その父親が愛情を込めてメンテナンスして息子に与えたモノ。

それはそれはとてもいい音がします。また、彼自身もその父親や周りの人から「精神や美学」を受け継ぎ、楽器や音色を大切にし、なによりも音楽を受け継いでいます。父親からや偉大なミュージシャン達からや。

 

最近特に思うのは、人を大切にすることは音楽を大切にすることそのものだなってこと。(楽器や道具、カメラやレンズも含めて、もちろん)。

 

肉親や友人には値段をつけられません。死んだら代わりはないので。つまり人を大切に出来る人は大は小を兼ねるではないけれども、モノやそして音楽を大切に出来る人。

 

逆にいうと楽器や道具やモノすら大切にできない人は、人を大切にすることなど難しすぎるのではないかな?と、思うのです。

 

(つまり音楽を大切にすることなどもっと無理。だって漠然とした事象だから。だからズレた演奏や少し間違った演奏を許すことができず、残さない。修正する。。。それは素晴らしい演奏だったかもしれないのに)

 

 

人はAIではないので、誰かに大切にされればそれを感じることができ、感謝できる。

そして人は大切にされた楽器やレンズから奏でられた音楽や写真、絵画、演劇など芸術に感動することが出来るのだと思います。たとえ負けて悔しいとは言え、一流のスポーツ選手に感動できることも一緒。(蛇足だけど、昨今貴乃花がもっとも大切にしようとしてるのはコレではないでしょうか?)

 

最近、アップルが旧製品の電池の劣化への対処とかこつけて買い換えを促進するかのような、iPhoneの動作速度を低下させるプログラムをosに仕込んだと大問題になりました。

これぞ、デジタルツール時代の「モノを全く大切にしない精神」の現れではないでしょうか?

確かに僕も買い換えで引き取られていく古いiPhoneに全く感情を抱かなかった経験はありますが(笑)

iPhoneを発明した天国のスティーブジョブズは芸術家でしたので、悲しんでいるのではないでしょうかね。。。。。

 

ま、前述したとおりiPhoneにモノとしての愛着はあまり感じないにしても(笑)、モノを大切にすることは音楽を大切にすることであるし、その人はきっと人を大切にする人だと思います。

 

人と人の関係にも楽器と同じで「今はこの音は好みじゃないや」、ってバイオリズムはあるでしょう。

しかし、よっぽど金ない!(笑)とかじゃない限り僕は楽器を手放すことはしません。また、闇雲に買うこともしない。

 

だって、出会った楽器をまずは大切にしたいから。

 

それは、人でももちろん一緒なのです。

出会った人、大切な時間を過ごした人、大切な音楽を一緒に奏でた人、スタジオのお客さんや写真に写ってくれた人や関わる人•楽器やカメラやレンズ、そして音楽をずうっと大切にしていきたい。いまは少し使わなくなってしまってあるとしても。。。

 

そうして大切にされ受け継がれたモノや音楽は、そして僕やあなたが大切にしている「人」は、

 

将来、

 

父親が子供の頃に撮ってくれたピンぼけかもしれない、アルバムに雑に整理されたような、かけがえのない一枚の写真のような愛おしい存在になるでしょう。。。

 

 

音楽ってそういうものであるべきでしょう???

  

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今年の始めのご挨拶にも掲げた奈良の聖林寺の十一面観音立像をモチーフにしたYUIKO MIZUSHIMA AND THE BIWA INSTITUTION のイメージ写真。

自分が撮った写真なのに年越しには拝みたくなる。(笑) 

土門拳のその十一面観音立像の有名な写真へのオマージュでもあります。 

 スネアはTOSHI NAGAIモデル。powerd by 株式会社パール楽器製造。着付けは森町章子さん。メイクは鈴木俊一さんです。