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音楽が、レコーディングが技術的特異点「シンギュラリティ」を迎えたら

これは2015.9.01に書いた記事です。

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今日は昨日呑んでいてふと思った事をつらつらと。
『技術的特異点と音楽』


最近の音楽のソフトウェアや各種デジタル機材の進化と普及はめまぐるしいものがあり、それによって様々な新しい形態の音楽が次々に産まれてきています。
音源やプラグインで作り出せないモノはないのではないか?と、勘違いするほど。

科学技術の世界ではここ30年の間に技術的特異点「シンギュラリティ」というのが訪れるそうなんです。
簡単に言うとコンピューターや科学技術が人間の脳や身体の能力を超えて、下手したら人間がコンピューターやロボットの奴隷になってしまうのではないか?とか(笑)
SFやオカルトのような話しですが、今やまじめな議論の的になってるとのこと。
実際コンピューターやIT、ネットの通信スピードの進化、工学の進化がこのまま続くと間違いなくそんな時は訪れるそうなんです。


これは、こええ。


で、音楽について考えてみた時に、
ロボットが作曲できたりドラムの演奏出来たりって時代が間違いなくくると思うんですよ。
その時に生身の人間はそのロボットに対して何を思うのか?

想像できるのは、それこそ手数とか正確性とかスピードとかは間違いなく負けるだろうと言う事。作曲のスピードも負けるでしょうし、ありとあらゆる音楽の制作や演奏の効率面で人間は負ける事になるでしょう。

で、そんな時きっと人間は言うはずなんです。

「そんな精確なだけの、無機質なロボットの演奏なんてつまらないよ。(それでも充分有機的で感情豊かな演奏をしそうな気がしますが。科学技術によって)」

「音楽は人間が演奏するから面白いんだよ。」

「精確無比なだけの音楽なんてクソつまらない。人間の曖昧さとか不確実性こそ音楽の魅力だ!」

云々。

これは安易に想像できます。

これは安易に想像出来る人間の言い草です。

。。。。



しかし、実は音楽についての技術的特異点はすでに目の前、いや、とっくに来てるのではないでしょうか?

レコーディングにおいて編集やら音作りやら、サンプリングやら、アンプのシミュレーションやら、ある意味出来ない事はありません。

しかも、それらの一見便利と思われるハイパーな道具やソフトウェアを使いこなすどころか、実はその道具に使われてるというか、振り回されてやいましないかと。それと有り余る無駄な情報に。実感を伴わない無機質な情報に、

我々純粋な人間、ミュージシャンが。
振り回されている。。。


そんな事を昨日「いせや(吉祥寺の老舗焼き鳥屋)」での最も信頼し尊敬するアーティスト•ミュージシャンとの語らいで二人して思った次第です。

エモーションがない、音楽に感情がないよねって。。。

「本当に私たちの時代だよね。これからは」って。

30年たったら間違いなく上のようなことを言い訳してる人間が出てくるとすると、だから生にこだわるというのは間違いなく30年進んだ考え方、進んだ音楽といえますね(笑)wwwwwww

ま、極端な考え方なんですけどね!(笑)



生だよ生。
ドラムも生。
演奏も生。

ビールも生。

あれもこれも絶対生!(笑)

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とまあ2年以上前の記事ですけど、この記事だと

『人間の感性や表現の方がAIより優れている』という前提で書かれていますよね。

いや、2年以上経過して今思うのは感性や表現力ももしかしたらAIは人間を超えてくるのではないかな、ということ。

最近のGoogleを見ていると検索アルゴリズムであったり翻訳能力であったりに、人間の感受性を超える能力を感じるのです。それは音楽含む芸術分野でも一緒ではないかなと。

これは人間、どうしたらいいんでしょうか。

より人間らしく、美や本質に忠実に生きていくしかないのかなと。他人や情報に惑わされず。

昨日のBLOGに引き続き思ったことなのでした。

 


 

音楽は産業廃棄物以下?

とある回転寿司に来ている。 

席がバックヤードの側なので裏側が見える。ものすごくテキパキと働いているがとてもその動きは雑だ。昨今のAIを搭載した工業ロボットよりはかなり雑。

今朝、産業廃棄物を選別するAIロボットの話しをNHKで見た。素晴らしく美しい動きでゴミの分別をする高性能ロボット。

 

しかし、今目の前で働いている回転寿司屋さんのアルバイトと思しき人間の動きと仕事は。そのゴミ分別ロボットより粗雑で出来上がって来たモノもとても食べ物に見えない。

 

扱ってるのは 食品だよ?

 

その寿司?の扱いに驚きを隠せないのもあるし、 

ひょっとして我々音楽業界の人間もそのように音楽や「人」を扱ってるように思えて、悲しくなる。 安い値段でコキ使い、人が演奏したものを良しとせず素材として扱うのみ。人が人らしく音楽が音楽らしくあるためのレコーディング手法や環境とはとても思えない現状。。。そして機械の都合や尺度で演奏や音楽を改編する。

とてもじゃないけど、丁寧に音楽を料理して お皿に並べてるようには感じられない時がある。

それはその回転台を回る粗雑に盛り付けられた「寿司のような物体」と同じくらい粗雑な音楽が多ような気がしてしょうがなからです。

 

そのロボットが扱うゴミ以下の扱いで作られた寿司のようなモノを行列して喜んで食べてるというなんというかその、人々の感性の退化や安いことが何よりの正義みたいな社会風潮に本当に悲しさが溢れたのでした。。。

 

 音楽くらいは愛情を掛けて作っていきたいもんです。

 

IMG_7276.JPG

一音一音に立ち向かう尊さよ

音楽や音楽業界というのは派手な側面ばかり注目されがちですね。

 

何百万枚売れたとか、〇〇で一位取ったとか、〇〇のツアーでドームだ!とか。そりゃもちろんある意味そういう音楽活動はメインストリームではありましょう。

 

しかし、世の中にはそういう派手さはないものの地道に音楽の美しさ、一音一音の尊さというようなものを追及している人たちや分野があるのはいうまでもありません。

 

ドラムは沢山のパーツから出来ていますが、そのチューニングボルトの精度に命をかけて作っている工場の人なんてのもおられるわけで、そういう人たちに支えられ音楽は成り立っている。

 

今回はものを大切にしろという話ではないけれども、自分を見つめ自分の中から出てくる感情や精神をみつめ、一つの音や音色に命をかけてやっている演奏家やそういう音楽もあるということを、ドラムやポピュラーな音楽をやっている人たち特に若い人たちに知ってもらいたい、というかそういう人もいるというのを「意識してほしい」ですね。無理に聴けとは言わないまでも。

 

歴史が積み重ねてきた音楽文化、ドラムのフレーズやリズムパターン、楽器の仕組みひとつ取っても先人の蓄積を拠り所にしています。

この時代、もう奏法や音色、音の組み合わせや作曲技法•ミックス技法なんてのは出尽くしているとも言えます。

 

けれど、たからこそ音楽の原点に立ち返り音楽をどう表現するか、どういう音色であるべきか、またその音色をどうやったら出せるのか。美しい本来の姿の音楽とはなにかを考ているひとも沢山いますし、また、楽器製作者や音響技術者等にも、いい音やいい録音や再生とは何かを常に考えている人は、少ないかもしれませんが必ず一定数いて、その人たちが音楽の基本的な美学を今や下支えしてるといえるのです。

 

短絡的な情報や意見、派手さばかりでコンビニエンスな安さの音楽業界では音楽はもはや死に体と言えるでしょう。

 

音楽は文化であり芸術。

 

このような最早こっぱずかしくなるのうな忘れられた事実を今一度振り返ってみなくてはならないのではないでしょうか?

 

江戸前さんはご存知のように(笑)怖いだの失敗をゆるさなそうとか、下手くそを相手にしないで怒られそうとか思われてるらしいですが、全くそんなことはございません。

 

むしろ純粋な気持ちで音楽をする人ならば保育園児ですら愛おしく思うのです。

 

ヒットチャートに上がる、フェスに出れるようなバンドや音楽ばかりが音楽ではないと常々思っています。

 

楽器やジャンルや経験値、売れてる売れてないで音楽を考えるほど馬鹿げてることはありません。

 

レコード大賞取るような音楽から、個人の記念品だったりアーカイブだったりするような商業規模の小さい音楽まで、分け隔てなく「どれも正しい音楽」として接していくのが僕の音楽への考え方です。

 

どれも好きで聴きます。

奥嵯峨、落柿舎から常寂光寺方面を望む。誰もいない静かななか歩みつつ考えるのは音楽のことばかりなり、なのでございました。

奥嵯峨、落柿舎から常寂光寺方面を望む。誰もいない静かななか歩みつつ考えるのは音楽のことばかりなり、なのでございました。

『着崩れない』はいいドラムサウンド

最近、着物の女性を写真に撮らせて頂く機会が多いのですが、まず着物の写真を撮るには「朝の着付けとヘアセット」から始まります。

都内ですと主に銀座界隈の職人さんのところに行ってお願いすることが多いですね。

 

銀座ですと、土地柄日頃夜のお仕事のママのセットをやってらっしゃるわけで仕事にもそりゃ厳しい(当たり前)。食からブランドからなんでも一流な街ですからね。

で、一通り写真撮って夕方になりますと。だいたい会話になるのは。

「やっぱプロの着付けは崩れないわ。全然襟周りや帯周りが朝のままやし」

 

これです。ヘアセットしかり。

 

着物は凛として美しくあるだけではなく、その着ている女性の気持ちいい緊張感を一日中キープさせる役割もある。

だから、着物さんの方から崩れるわけにはいかないのですね。

これこそまさにプロの仕事。

 

ただパッと見で美しいとか表層だけカッコいいというのではそれはプロの仕事ではありません。

包丁一つとっても何年も何十年も研いで使っていけるか?(ここは包丁職人や鍛治師の丁寧な鉄を鍛える仕事にかかっているわけで)

 

木造建築は何百年持つ。現代建築はせいぜい何十年ですよ。なんでよ?(京都東寺五重の塔遠景、1644年の再建の5代目建築 photo by EDo-mae)

木造建築は何百年持つ。現代建築はせいぜい何十年ですよ。なんでよ?(京都東寺五重の塔遠景、1644年の再建の5代目建築 photo by EDo-mae)

 

ドラムにしても長いあいだのパワーショットに耐えられる構造なのか?長い年月で歪まない木材を丁寧に加工してるのか。。。。ギターならネックは長年にわたりまっすぐに安定できるか。。。

(ソニータイマーのように、時間が来ると壊れる設計になってるのは論外です! だからソニーは凋落した)

 

音楽や写真でも何年何十年たっても鑑賞に耐えられるか?いつまでもエバーグリーンでいられるか、です。

 

どうせなんか作るなら長い時間を使ってもらいたいじゃぁないですか?で、そこにはモノへの愛情と丁寧さが必須になってきます。

 

音楽作りってそういうもんです。

 

ちなみに、ドラムレコーディングでいいますと、しっかりレコーディングされたドラムサウンドというのは、

ベース→ギター→キーボード→ボーカル→コーラスetcと音を重ねていくほど何にも処理しなくてもどんどんいい音になっていくんですよ!

 

知らないでしょー?(笑)

 

これは時間が経っても全く崩れてこない一流の着付けや髪結いと一緒なんです。

 

そういうものはプラグインとかでは作れない。

そして化学調味料では作れないというのは、なんとなくみなさんもお判りになるのではないでしょうか。

ま、化学調味料の塊の『日清カップヌードル』みたいなのもありますけどねぇ(笑) これも永遠であります。。。

 

 

音楽における儀式性とはなにか。※ドラムチューニングであったり

音楽というのは、古来神様に捧げるモノだったり偉い人に捧げるモノであったのがルーツだと思います。

 

クラシックだとルーツの一つであるグレゴリオ聖歌は神へのささげもの(教会の長く深い響きに神性を感じていた)であったし、まあゴスペルやレイエム的な鎮魂歌も。日本の音楽だと声明あたりがルーツになりますがつまりそれは簡単にいうとお経なわけです。

お祈り前に線香をくべることもひとつの伝統的儀式と言えましょう。。。photo by EDo-mae

お祈り前に線香をくべることもひとつの伝統的儀式と言えましょう。。。photo by EDo-mae

 

このように敬虔な気持ちになりながら演奏するのが本来の音楽の姿。

 

レコーディングの歴史を振り返って見ても録音というのは「魂を吹き込む作業」でした。

 

例えば、マイク一本で歌もオケも全て録音していた時代があったのです。

それはそれは本当に儀式的というか。

 

一番偉く若く美しい「美空ひばり」さんがマイクに一番近い正面に立ち、音量バランスごとにその後ろに楽器隊を配置して全員で「まるで祷るかのように」録っていた。それはまさに!儀式。

言いかえれば緊張感をレコードに込める作業。(ちなみにその頃のレコーディングエンジニアは白衣を着て科学者のようであったのです。ちなみに科学は神を追い求める行為といいます。)

 

 

芸術には緊張感がつきものです。

 

僕は無くなったおじいちゃんに小さいころ習字を習っておりました。

おじいちゃんは「習字とはまず精神の問題、集中の問題である」と常々叱られました。

何故簡単な墨汁を使わずわざわざ墨を摺るのか?それは、硯に対峙し正座をして静かに墨を摺ることでこれから書く一文字一文字に対して精神を統一するという儀式でもあったわけです。

 

例えば仏壇に先祖代々伝わる過去帳や写経では1文字の間違いも許されません。つまり集中しなくてはならない。

 

現代においてはこの緊張をコントロールする過程が多くの場合見事に省略されています。「便利さやテクノロジーの優位という錯覚」において。

ハードディスクレコーディングしかりデジタルカメラの撮影しかり、間違いはすぐ訂正できますから、余計な緊張はいらない。(ここがアドバンテージでもあるけれど)

 

しかし、音楽の話題に戻ると本来音楽を演奏するというのは、このように常々緊張感を伴うものです。その緊張感があるからこそ美しさやリラックスを表現できるのです。

そう、緊張感を制御してこその芸術としての音楽であるわけです。

 

 

それでは現代の演奏におけるその緊張感のコントロールという儀式とは?

 

一つは演奏前に心を整える事としての「変身」。

つまり化粧であったり舞台衣装に着替えること。

 

演奏前実際そのメイクアップを受けている時間、着物での演奏ならその着付けをしてもらっている時間に演者は精神統一してどんどん集中してゆく。

 

その精神を高めることに集中する為のメイクさんであり着付け師さんであるわけでしょう。

 

特にメイクや着付けは専門的になればなるほど非常に難しいモノです。

だからプロフェッショナルに頼むのです。

着物を着る演奏家が本場前にどうしても自分で着付けなくてはならない場合、どんなに日頃着物を着慣れていてもかなり焦るそうです。何度も帯を巻き直したり。。。

それでは演奏に集中できるわけがありません。

 

普段やってることでもガチの本番前には専門家に頼むことの意味とはまさにそういうことだと思いませんか?

また、専門家や職人の仕事や所作は美しくそれ自体が儀式性すら感じさせるもの。。。

例えば一流のドラムチューナーの仕事。無駄ない動きで即座に求められる音をしあげていく。セッティングも美しく。。。。

 

レコーディングエンジニアの仕事とて一緒なのです。

例えエロい下ネタをダベりながらであっても。(そのダベりがミュージシャンのリラックスを誘うというのも当然計算済みであるわけですし)。

 

チューナーのson4さんがこないだ言ってました。ドラマー自身はチューニングが出来るにこしたことはないし、いや出来るべきであるが、大切な時こそは専門家に頼むべきだ、という趣旨の事を。

ドラマーは着物の柄や帯の色合いの好みをそのつど持つべきです、絶対。しかしそこをチューナーに丸投げしてはならない。だから本人もチューニングが出来てそれを理解してるのは最低限のベスト。

けど実際の着付けたるチューニングは大事なレコーディング前や本番前こそ専門家に委ねる。

それが演奏者の精神統一の仕方であり一種の儀式とは言えませんか?

 

それはレコーディングエンジニアの仕事しかりかと思います。

 

そういうことを考えて常に僕は仕事してますね。

おっぱいの話ししてるうちにでも美しく音が出来上がってるのがドラムチューナーさんやギターテックさんであり、レコーディングエンジニアなのです。

 

あとは演奏するだけ!!

それがいかに素晴らしいことであるか。。。。。。

 

 

ちなみに化粧が濃くて有名な僕の師匠は言ってましたね。

台風かなんかで次の公演地に遅れる。しかしどんだけ遅れようと、しっかり「変身」しなくてはならない。

けれどどんなに焦った気持ちや不安な気持ちでもその「変身」することにより精神を統一することが出来る。

 

これはこの「格好」で良かったことの一つであると。

 

 

演奏前の全ての流れは精神統一をするための儀式である、そう捉えると良いかと思います。

それは全て音楽そのものの為、演奏する自分の為です。

 

一刀三拝。仏像を掘るさい一刻みするごとに三度礼拝すること。。。そこまでは言いませんけれど。

一音一音を大切に、音楽に向き合うこと。。。。。

 

そういう特別感がないのが音楽を面白くなくさせている最大の理由のような気がします。

手軽すぎるのです。それはリスナーの聴き方のスタイルもでしょうけど。

 

晴れの日に着付けをプロに頼むのも一緒。大切な日にいかに美しい自分であるか。。。

そりゃ逃げられたら全て台無しですけどね(笑)

 

本来のプロフェッショナルはどんな状況や要求からも逃げないものだと思います。

 

今年一年も江戸前ではそういうことを緊張感をもって念頭に置き、レコーディングを頑張っていきたいです!

モノを大事にすることは、人を大事にすること、音楽を大事にすること。

 本年の、最終ブログ。

 

モノを大事にすることは、人を大事にすること、音楽を大事にすること。

 

今年もいよいよ最終日になりました。ほんとに色々、様々あった一年。

 

江戸前では、年初めには古典琵琶楽を現代最先端のドラムやリズムアプローチと融合させたYUIKO MIZUSHIMA AND THE BIWA INSTITUTIONの「BIWA AND LIPS」をリリース。また神田リョウとTRIPによるループ集もリリースさせて頂きました。どちらもとても高い音楽的評価を頂きました。(ループ集については来年早々アプリの発売を予定しています)

 

最近は江戸前のツイッターはドラムや音楽よりも写真の内容が多いのですが(笑)、音楽も写真も全く同じ性質のモノだと感じています。

また、カメラやレンズは楽器そのものと言えます。

 

特にレンズは楽器と同じように、写りつまりサウンドの流行りはあろうと100年使えます。実際僕も父親から譲り受けた50年モノのレンズを今もメインで大切に使っています。

また、江戸前には100才に近いスネアもあります。

 

その何十年も100年も大事に受け継がれる「モノ」。そこにとても深い魅力を僕は感じます。大切に設計され製造され使用され、親から子供へミュージシャンからミュージシャンへ受け継がれてゆく楽器。(もちろんカメラやレンズも)

 

江戸前で大切にお預かりしているとあるドラムセットは、今や一流のドラマーになった彼の幼少の頃に父親が誰かから大切に譲りうけたビンテージで、その父親が愛情を込めてメンテナンスして息子に与えたモノ。

それはそれはとてもいい音がします。また、彼自身もその父親や周りの人から「精神や美学」を受け継ぎ、楽器や音色を大切にし、なによりも音楽を受け継いでいます。父親からや偉大なミュージシャン達からや。

 

最近特に思うのは、人を大切にすることは音楽を大切にすることそのものだなってこと。(楽器や道具、カメラやレンズも含めて、もちろん)。

 

肉親や友人には値段をつけられません。死んだら代わりはないので。つまり人を大切に出来る人は大は小を兼ねるではないけれども、モノやそして音楽を大切に出来る人。

 

逆にいうと楽器や道具やモノすら大切にできない人は、人を大切にすることなど難しすぎるのではないかな?と、思うのです。

 

(つまり音楽を大切にすることなどもっと無理。だって漠然とした事象だから。だからズレた演奏や少し間違った演奏を許すことができず、残さない。修正する。。。それは素晴らしい演奏だったかもしれないのに)

 

 

人はAIではないので、誰かに大切にされればそれを感じることができ、感謝できる。

そして人は大切にされた楽器やレンズから奏でられた音楽や写真、絵画、演劇など芸術に感動することが出来るのだと思います。たとえ負けて悔しいとは言え、一流のスポーツ選手に感動できることも一緒。(蛇足だけど、昨今貴乃花がもっとも大切にしようとしてるのはコレではないでしょうか?)

 

最近、アップルが旧製品の電池の劣化への対処とかこつけて買い換えを促進するかのような、iPhoneの動作速度を低下させるプログラムをosに仕込んだと大問題になりました。

これぞ、デジタルツール時代の「モノを全く大切にしない精神」の現れではないでしょうか?

確かに僕も買い換えで引き取られていく古いiPhoneに全く感情を抱かなかった経験はありますが(笑)

iPhoneを発明した天国のスティーブジョブズは芸術家でしたので、悲しんでいるのではないでしょうかね。。。。。

 

ま、前述したとおりiPhoneにモノとしての愛着はあまり感じないにしても(笑)、モノを大切にすることは音楽を大切にすることであるし、その人はきっと人を大切にする人だと思います。

 

人と人の関係にも楽器と同じで「今はこの音は好みじゃないや」、ってバイオリズムはあるでしょう。

しかし、よっぽど金ない!(笑)とかじゃない限り僕は楽器を手放すことはしません。また、闇雲に買うこともしない。

 

だって、出会った楽器をまずは大切にしたいから。

 

それは、人でももちろん一緒なのです。

出会った人、大切な時間を過ごした人、大切な音楽を一緒に奏でた人、スタジオのお客さんや写真に写ってくれた人や関わる人•楽器やカメラやレンズ、そして音楽をずうっと大切にしていきたい。いまは少し使わなくなってしまってあるとしても。。。

 

そうして大切にされ受け継がれたモノや音楽は、そして僕やあなたが大切にしている「人」は、

 

将来、

 

父親が子供の頃に撮ってくれたピンぼけかもしれない、アルバムに雑に整理されたような、かけがえのない一枚の写真のような愛おしい存在になるでしょう。。。

 

 

音楽ってそういうものであるべきでしょう???

  

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今年の始めのご挨拶にも掲げた奈良の聖林寺の十一面観音立像をモチーフにしたYUIKO MIZUSHIMA AND THE BIWA INSTITUTION のイメージ写真。

自分が撮った写真なのに年越しには拝みたくなる。(笑) 

土門拳のその十一面観音立像の有名な写真へのオマージュでもあります。 

 スネアはTOSHI NAGAIモデル。powerd by 株式会社パール楽器製造。着付けは森町章子さん。メイクは鈴木俊一さんです。

ドラムレコーディングにおける『位相』とは。。。。。。。

位相のズレは画像のブレと一緒。ズレているからダメというのではない。。。さて初詣はどこに行こうかなぁ。。。。。。。

位相のズレは画像のブレと一緒。ズレているからダメというのではない。。。さて初詣はどこに行こうかなぁ。。。。。。。

もう年の瀬。。。。。スタジオにおけるドラムレコーディングの『位相』について質問を受けましたので、細かく話を書いてみようと思います。

位相とはなにか。本来の単語の意味でいうとプラス・マイナスで形成される『物理波形』が『任意の瞬間どの数値を指しているか』ということです。


ベースギターの最低音のEは41Hz。つまり1秒間に弦が41回振動しているのですが、プラスとマイナスを1秒間に41回行き来してるわけです。振り幅が10と仮定したら1秒間の間に+10にある時もあれば-10の時もあるし、3や0や−7のときもあります。その今の瞬間幾つを指しているのかがいわば位相です。
それを波形に示すと重なっていたり平行にずれている見た目になるわけです。

位相がずれるというのは、マイクを二本を立てた時それぞれが指している数値がふさわしくない関係であるということです。mixはマイクの音をmixつまり加算することなので、ある音に対して一方のマイクが+10なのにもう一方のマイクがその瞬間-7であると音は3になってしまいます。つまり正しい音とはいいにくい状況ですね。

ただドラムレコーディングにおいて全てのマイク間の位相を完璧にすることは不可能です。クラスの全員がそれぞれ全員とまったく同じように良好に仲が良い状態なんてあり得ないのと一緒ですね(笑)

まずドラムレコーディングで位相を考える時『モノラル音像としての位相関係』『ステレオ音像としての位相関係』『単体の音としての位相(関係という文字はつかない)』この三つを切り離して考える必要があります。

まず『モノラル』のそれ。ドラムの場合主にキックとスネアの関係です。
キックの2本のマイクをミックスしたときに不自然に痩せたりしないか、キックとスネアそれぞれ両方の音を出した時に音色と音像(太さや実体感)が問題ないか。

そして『ステレオ』のそれ。タムのLRのパンニングが希望どうりの位置にあり音量もどれかがひっこんでいたり左右に極端に滲んで聞こえないか。
しかしタムは左右に程よく滲んでいるのが理想です。『点から』音が出ているわけではないですからね。左右に少し広がって位置しているのが理想です。(ドラム音源やエレドラのもっとも嘘くさいのはココです)その広がり感はtopのマイクをONにしたときに程よくなるようにしましょう。
タムのどれかの音像がおかしいなら、そのタムだけtopへの被り方のバランスが変であるということです。LRのtopマイクからみたらどのタムからの被りもほぼ一定であるのがいいといえます。

また、topマイクにはタム類のLOWをあまり入れないようにするのがコツです。
※ヒント : topマイクはシンバルだけを狙っているわけではなく、そのほかの太鼓類の『艶成分』を担っているのです。(重要)

topマイクは直接的にタムを狙わない位置に立っていれば『充分』であるということなんですよ。なぜならONにも立てているでしょう?。

それと最後の『単体位相』。ドラムレコーディングにおいてキックは正位相でそれ以外は逆位相です。キックだけ反打面側にマイクがありますので音の出だしの瞬間にマイクが+に振れるのです。他は打面に向けますから-から始まります。
ぶっちゃけキック以外も+なら理想かもしれませんが、低域を担うキック以外ではほとんど関係ないと言えます。(ホントはあるんだけどwww)

位相のズレは低域ほど顕著ですし音像に対しての影響も大きい。バスドラは『ドンドン!』と『グイグイ響いてくる』のが理想ですが、バスドラだけを逆位相で出して聞いてみてください。気持ち悪いですよ。一瞬引っ込みますからね。音の迫力的なモノが引っ込んで聞こえるはずです。

それと逆位相のバスドラはベースとのアンサンブルも壊しかねません。ベースがグイグイきて『プッシュ感』を出しているのに、同じ音域にいるバスドラのアタックが逆位相で打ち消しにかかってくるとどうなりますか???『ドーンパンドーンパン』のドーンに『圧』がなくなってしまいますよね〜〜〜!
(この問題は一番難しい話です、だってベースが正位相で出ている保障がないからwwwwwwここを書き出すと終わらない)

なので、まずはこの3つの位相について理解するように心がけてください。

具体的なアドバイスとしては、topマイクをオンにしたときに全ての太鼓が痩せないということが最重要です。そのtopマイクを立てるべき場所はどこなのか、それはドラマーによってセッティングが全部ちがうので、正解は全部違います。経験でしかわかりません。


ただ一つ具体的なアドバイスはというと、
『topマイクに太鼓を入れすぎないように』

これしかありませんよ!

レコーディングを成功させるための極意 <第一楽章>

一般的なレコーディングにおいて最も大切なのは、楽器 (主にドラム) の選び方。なんですよ!

これがレコーディングの1丁目1番地!

(※江戸前では楽器が多すぎて下手したら選ぶだけで1時間くらいかかりますwwwwww)

ドラムを選ぶ際、
単に叩いていて気持ちのいい音だ、気持ちのいい倍音だ、とか、ショットの跳ね返りの感触とか『叩いてます。俺!感』がいいだとかドラマーの立場では色々観点や好みがあるでしょう。

まず、物理的な話をしますと、ドラムに限らず楽器というものは全て基音と倍音で構成されています。フォルマント構成 (倍音がどういう風なバランスで出ているか) とエンベローブ(音が発せられてから消えるまでの音のフォルマント構成のその経過)が違うだけなんですね。

しかしドラムサウンドの場合、特に倍音が「どう出ているのか」または「出ていないのか」というのは、命であります。
何故なら音楽の構造上レコーディングの作業上、ドラムサウンドが基盤になってその上にいわゆるウワモノが乗ってくるから。つまりドラムの倍音はいい意味でも悪い意味でも他の楽器にマスキングされて(消されて)ゆく。また他の楽器の音に対しても逆にマスクを施す場合もあります。

つまり、ドラムの音がどう聴こえるのか、また、他の楽器がどう聴こえるのか?がお互いの楽器同士で大きく作用し合うのです。しかもドラムの音の場合、『マスキングする・マスキングされる』のイメージがしにくいし、非常にあいまいな感じがするかもしれません。なぜなら持続音が基本的にないからですね。(シンバルは持続音的ではありますが、シンバルの持続音としてのaudio的作用については非常に難しいのでまた今度)

ドラムレコーディングで難しいところはまさにここなんですyo!。

ドラムのレコーディングの時点で全てのウワモノが乗ってる事はいまや稀です。せいぜいベースとギターのみを同時にレコーディングというのが最近は多い。
じつは、素晴らしいドラムサウンドというのは、ウワモノが乗って来た時にその真価が発揮されるんです。

ドラムに乗っかる美女

ドラムに乗っかる美女

楽器の選定とチューニングが成功した「レコーディングされたドラム」というのは、上に楽器が重なってくればくるほど素晴らしい音に変貌していきます。まるで上質のメイクを施してゆくかのやうに。。。(ミックスバランスとかの問題ではなく本質に於いて。)

なので余程サウンドに熟達したひとでない限り、ドラムだけで録音を始めるというのは設計が終わってないのに基礎を打つようなものなんですね。
しっかり最後の仕上がりを見据えて、ほかの楽器が入って来たときにドラムが・全体がどう聴こえるのか、聴こえて欲しいのか?をしっかり考えて楽器を選び、音を決めなくてはいけないのです。

例えば、キックの程良い『ボワーン』という成分。ドラム単体だと目立つし邪魔に思うかもしれない。しかしその一見無駄にみえるその『ボワーン』と言う部分が、ほかの楽器と重なったときに一体感であったり存在感であったり、お互いを補完する成分であったり、とても有機的で有用な『大事な音』となる。加えキックにしろスネアにしろどのぐらい音が伸びているかでグルーヴや演奏が変わってすらきますよね!

このように経験や美的センスに長けたひとでない限り、ドラム単体で音決めをしてドラム単体でレコーディングを開始してしまうのは、実はかなり危険なんです。危険というかせっかくなのに勿体ないというか。。。

せめて夫婦であるベースとは一緒に、少なくとも必ず、せっかくだし一緒にレコーディングするのが本来の音楽から見ても正しいですし。美しいですし成功の近道ですよ!

さもなくばなかなか正しい、いやふさわしいスネアサウンドを決める事は出来ないし、キックのミュート具合すら決めかねる、そのくらいドラムサウンドは難しいんです。ピッチがとか、そういう簡単なものじゃぁないんですね。

もはやマイクとかプラグインとか機材とかそれ以前の、ドラムにおける『まず、コイツ(このドラム)は人格的にどうなのか?』
というような本質的な部分で楽器を判断し、選んであげることが大事ですし、ドラムや音楽への愛というやつなんです。


つまり、結局これだけは言えます!
そういう事は江戸前さんに是非相談するべきなのです!。
ドラムを録るならば、キメたいならば。
さすれば経験に裏付けられたドラムオタクすぎるベーシストなエンジニアさんならではの(ry

最後はと言うか、いつもの通り我田引水的なBLOGなのであったwwwwww
(笑)


(ドラムだけでなく、全ての楽器に言える事であるけれど)

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いそげ〜〜〜〜

 

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素晴らしいドラマー、打楽器奏者いや、ミュージシャンとは、

今日はレコーディングとかスタジオではない話。

先日某ライブにお邪魔しました。ウチにお客様で来ていただいてその演奏とトーンに非常に感銘を受けたので早速観に行ってみました。
即興演奏形式で話しによるとリハもなく、その瞬間がまさに初顔合わせで初演奏だったそうだ。

そのミュージシャンの方は即興的セッションに長けてる方だとは思うが、まず、当たり前に演奏が素晴らしい。しかし、だいたいのミュージシャンてのは間違いなく演奏は素晴らしいはず。
しかし、さらに一段二段素晴らしく感じるその差はいったいなんなのだろう?どんなに素晴らしくとも普通一緒に演奏してみたいなどとはめったに思わないのだけれど、その時は一緒に演奏してみたいなー、と純粋に思ったのですよー。

今まで何人かのそのようなミュージシャンと出会い、幸いにも実際一緒に演奏する機会に沢山恵まれてはいるけれど、特にドラム等の打楽器奏者全般に言える大事な演奏のポイントは、僕は「顔」なのだと思っています。
まずその演奏の楽しさや真剣味や、共演者お客様に対する気持ちが全て顔と表情に出てるかどうか。。。特に打楽器奏者はその楽器の特性上譜面に食らいついている必要性もないし、常に指板を睨んでる必要性も少ないので、その視線や表情や身体全体で音楽そのものと楽しさを人一倍アピールすることが出来ますよね。
つまり、楽しさやグルーヴの表現を表情で倍増させる事が出来るという事。

即興演奏の場合は特に、ミュージシャン同志の呼吸やお互い何を考えどんな音を出しているのか?というのを深く理解することが非常に大切になってくると思いますが、その人は常に共演者を見ている。探っている。演奏してて楽しいんだぞー!ってアピールを全身でしている。へたな共演者だと気遅れするほどじゃないでしょうか。
しかし、それは音楽をこころの底から楽しみ、真剣に音楽と共演者に向かいあってる証拠なんだ。
演奏が仕事で日常であればこそ、そこはある意味ルーティンになるのは仕方がないのにもかかわらず。


その奏者、それはそれはあらゆるジャンルのあらゆるミュージシャンに引っ張りダコになるだろというのが、一瞬で理解出来た。。。

そしてそれは、おそらく音楽において最も大事な事であるのにもかかわらず、今最もないがしろにされ、忘れられているポイントであるなと、ひどく感銘を受けた夜でした。。。

演奏とは人であると、

p.s.純粋に音楽だけで見た場合、アイコンタクトとか関係ない(耳で集中できていればいい、それが一流)という論も見ますがそれはそれ。これはこれよ。
 

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