世の中、ちょっとオーディオや音楽に凝ってる人にはおなじみの「ハイファイ」とか「ハイレゾ」とか「原音忠実」。


ハイファイやハイレゾはなんとなく機材スペック的に性能がいいのを指すのはわかりますが、では原音忠実とはなんなのでしょうか?


言葉から連想されるのは「ありのままの音である」ということでしょう。

しかしレコーディング的に「ありのまま」であろうとするのは物凄く難しいのです。不可能です。


デジタル録音ならその性能の範囲であればどの帯域でも正確に信号化出来るのはほぼ間違いないです。


では、何故難しいのか。。。

それにはひとつ。マイクの性能は耳とは違うというのがまずある。

そして、再生するスピーカーやヘッドフォンも特性がまっすぐではないのです。


そもそも耳と違う性能のマイクで記録したものを、またいびつな特性のスピーカーで再生する。何枚もの歪んだガラス越しに見てるのに等しいわけですね。まぁ、高性能のレンズに例えるほうが正しいかもしれませんが。


そうです。写真の世界では記録色と記憶色という言い方があります。

印象的だったり素敵な風景や光景というのは頭のなかでもっとドラマティックだったり美しく脳内変換されるのです。例えばもっと鮮やかな夕陽や青空や青い海に。。。



オーディオや音響の世界にも似た用語があります。


「物理量」と「感覚量」です。

物理的に10の音があったとして、耳には8に聞こえたり15に聞こえたりするのです。

それは各人の耳の誤差や環境により大きく変わってきます。

年齢でも変化するでしょうし、その時の気分ですら変わるでしょう。


そうなってくると一体「原音忠実」とはなんなのでしょうか?コンサートホールやライブハウスで感動した音楽や音を思い出して下さい。


原音忠実とはあくまでも周波数特性的に原音に近ければいいのでしょうか?

しかし、それは環境や各人の耳の特性等と合わせると決して忠実とは言えない。


とすると結局、そのもともとの音や音楽の印象に感覚的に近いもののほうがもしかしたら「原音忠実」かもしれません。上手く描けた似顔絵のほうが忠実にその人の人柄を表してる、みたいな。


つまりレコーディングスタジオで音楽を収録する、というのは本来のその「音楽をどう表現し伝えたいのか?」を具現化する過程になります。

一つ一つの音楽にとってふさわしい音をふさわしい方法論でレコーディングし、作品化していく。


なにもハイファイにフラットな「つもり」の機材で録音したから原音忠実で素晴らしい録音かどうかなんかはわからないんですね。


そこをどういう技術や機材やプロセスそしてスタンスでレコーディングしていくか、具現化していくのかを追求していくことが、一流のレコーディングエンジニアリングであると信じているわけです。


俺にそれが出来てるとは絶対言わんけど。


結局、原音忠実であるかどうかなんてのは感覚量に大きく依存する音楽そのものにとってはあまり大した問題じゃないのかもしれません。


結局は「作品」としての質が全て、なのでしょうね。

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