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いいおっぱい間違えた音その4

いい音。

 

どんなアマチュアバンド•アーティストでもトップアーティストでも、いい音のCD作品を出して欲しい。その為にならなんでもする!

というスタンスが江戸前さんなのですが、

それではいい音ってなんやねん!

 

その4。

このあたりが山場となってきます。

 

前回は「その楽器の音としてふさわしく、気持ちの良い音」というのを考えましたが、やはり「いい音」を考えた場合、音とはもちろん自然現象や物理現象ではありますが、音楽である以上それらは「美的現象、表現現象」なわけです。

 

どんなに立派でスペックのよい楽器を持って来ても、最新の高精度な録音機器を持ってきても、

 

「音楽として良くなきゃ意味ない」

わけです。

 

つまり、いい音その4はまぎれもなく

「音楽的に素晴らしい音、ふさわしい音」

になります!

 

例えばビートルズの音が「今時の音で超ハイファイで、リンゴスターの音も凄い分離感が良くて。。。。」

というのを想像してみて下さい。

 

なんか違うくない?と(笑)

 

もちろん何十年もその音でみんな親しんで来たわけだから、もし昔からそういう音だったならそれはそれでよかった、ともなるかもしれませんが。

 

しかし、ビートルズがあのようなレコーディング方法を採り(それしかなかったとも言える)、また色んなレコーディング方法を発明し試行錯誤してあのような美しい音像を作りあげた。そしてそれはとても自らの音楽にぴったりの最高に「音楽的な音」であった。

 

と。

 

そういう偶然、いや必然がビートルズだったり沢山の音楽を名作たらしめていることに異論はございますまい。

 

つまり、その音楽にとってふさわしい音質ってのはやはりあって、もちろん高級オーディオで聴く演歌も素晴らしいですが

「有線」で聴くのもいいですし、AMラジオなんかで聴くのなんてとても美しいと思いませんか?

深夜に終電逃してほろ酔いでのるタクシーのカーラジオから流れる前川清。

 

いや、石川さゆり、いや、aiko、いやワンオク。。。

 

なんでもいいんですが。

 

 

話しが脱線して「録音」ではなく「再生」環境の話しになってしまいましたが、音楽にはその音楽にふさわしい音質や表現があるということです。

 

それは専門的に言うとマイキングだったりミックスだったりマスタリングだったりにもちろん繋がりますがね。

 

前もいいましたが、沖縄民謡に教会のようなロングリバーブがかかってたら(かけてもいいよ)かっこよくないですしやはり、白鳥の湖の有名なオーボエのメロディは畳の部屋みたいな響きでは聞きたくないもんですよ。

A Man with his Shamisen Guitar by Raymond Marquez on 500px.com

 

それはオーディオスペックとかそういう次元ではなく、音楽や楽器の音というのは「ふさわしい音環境」ありきで成立するということです。教会音楽とかバッハとかはああいう響きがあったからこそその和声や表現が生まれたと言っても過言ではないでしょう?

 

そのふさわしい音環境が音楽そのものと結びついて音楽家の表現に直結していて、芸術を補完し支えている状態が「いい音」であり、それが充分に収録されてるのが「いい音のCD」ということになると

 

思われ。

 

今日はおっぱいネタなし!

ごめんなさい。

 

※誰に謝ってんねん

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いい音って?その三

​音を求め美を求め彷徨う。

音場放浪記の江戸前です。

さて、日にちが若干空きましたがいい音とはなんぞ屋の3回目。

いい音カテゴリーの三つ目は

「楽器の音として素晴らしい音」です。

ドラムでもピアノでもそれぞれの楽器をやってる方なら好き嫌いあれどその楽器の「いい音悪い音」というのは痛い程よくお分かりかと思います。

まさにこの事です。

※「いい楽器かどうか」はまた別の要素が絡みますよ。

特にドラムなどは楽器やチューニングでかなり音色のバリエーションは幅広いわけですが、ジャズのドラマーですら例えば全然サウンドの方向性の違う「メタル(ヘビメタ)のドラム」についてもその良し悪しはきっとわかるかと思います。

つまり、ジャンルを飛び越えて誰にでもいい音だーって思える楽器の音。

それが三つ目のいい音ですよ。

ドラムなら、ピアノなら、バイオリンなら、三味線ならこうあるべきだという歴史に紡がれて今良いとされる音、そのものが「いい音」かと思います。

それはうん百年前の億単位のストラディバリウスと10万の入門用バイオリンを「ブラインドでどっちが好きか?大会」とかでみんながわかってしまうレベルの「音の良さ」というやつですね。

ただ、もちろん高いからいい音とは限らないし、また逆もしかり。

価格や見た目やブランドにはとらわれない、ネット情報やステマにとらわれない「自分の耳で聴いて」ほんとに「いい音色だぁー。この楽器好きになっちゃうぅー」ってパワーのある「楽器の音」これは、誰がどうあがいてもいい音と言わざるをえないでしょう(笑)

全く興味ない人もいるでしょうが。

ここでまた無理やり無理やりおっぱいネタにと思いますが、かなり無理がありまして(笑)

例えると、人種が違えど御国が違えど文化や服装が違えど「綺麗な女の人だなー」ってだれが見ても思う状況、みたいなものでしょうか。

京都先斗町 歌舞練場に急ぐ京舞妓

京都先斗町 歌舞練場に急ぐ京舞妓

 

ちなみにそういったいい音というのは必ずしも「高性能な録音状態とハイスペックなオーディオでなくては聞けない」という事は一切ないのです。(つまり、必ずしも「いい音その2」を満たしている必要がない」という事になります)

↑ここ一番大事。

 

 

AMラジオ(音こもってんなーおい)でもそれは伝わりますからね。

 

この辺はいい音その4に繋がります。

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『いい音』って?その2

神を探す行為とまで言われる『いい音』探求。。。(笑)

江戸前さんの考えるいい音その2を発表しましょう。

 

それは!

「オーディオ測定的な意味で周波数特性の優れた音」

です。

 

これまたまあ難しい話しなのですが(笑)低い音から高い音までまんべんなくストレートに濁りなく出ている「再生環境や録音状態」を指すといいましょうか。

 

「低い音から高い音までまんべんなく出てる音」だとするとホワイトノイズになっちゃうので(笑)(FMラジオのザーーーーみたいなやつ)。

 

つまりまぁ、録音状態としても再生環境としてもとにかくオーディオマニア的スペックな意味で高品位であるモノです。(オーディオマニアの気持ちはわからん!とかはまぁ言わずに。カメラマニアの気持ちもわからんでしょうが、高画素で写りがシャープで色の表現も満遍なく美しいカメラやレンズでみたいな)

 

デジタル録音でいうと96kとか192kとかナントカbitとかも関係しますし、周波数特性の広いマイクを使ったりしなきゃならないし、音に癖のあるスピーカーだとちょっと違うかもしれませんし。。。。

 

そこを追及してくと、

スピーカーケーブルは高級でなくてはならないし、しっかりした土台の上に機材を設置しなくてはならず、電源はピュアでなくてはならず、電柱を自分で所有し電力会社を吟味し、、、、。

 

と、どっかからはカルトな世界になっちゃうんですが(笑)

 

少なくともiPhoneのイヤホンは低いところと高い所は出ておりませんし、

AMラジオは音が曇ってますし、

 

ようするにそういうのとは真逆の「スカッとヌケのある」「しかしギラギラと痛くない」「低音も豊かで」「キレも良く」「歪みのない」、そういった状況で収録され、再生されてる音ですね。

 

ハイファイだなー!ハイレゾだなぁ!って感じで表現される音です。

(笑)

なんとざっくりとした、適当な解説!

 

ここで恒例の無理矢理オッパイネタですが、オッパイに例えると、細かい好き嫌いや好みは別にして「誰もがすごいなー、綺麗だなー、◯◯なー」と一定の理解が得られる「カタチ」のそれだと言えなくはないでしょうか。。。

Serenity by Maxim  Guselnikov on 500px.com

う〜〜〜むoppaiもろのやつは貼付けできないってことが発覚 (笑)

 

 

ただし、問題はその高品位である「音の録音状況と恵まれた再生環境」

で、何を聴くのか?

というところにいよいよ突入してくるのです。

 

だんだんスペックではなく美学の問題になっていきます。

 

つづく。

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『いい音』って。。。。その1

いい音とは何か。。。

「それは殆ど神の存在について考えるのに等しい。」

それはそれはどこぞの伝説のエンジニアが言ったとか言わないとか。

 

日常生活において普通の人がいい音!って感じるのはどんな時かな?

ワイングラスが「チーン!」とかビアグラスが「コワァーン」とか?(笑)

いい音について日頃考えているのに全く思い浮かばない。なんと恥ずかしい事だろう。。。(笑)

 

科学的生理的な研究分野では「ゆらぎ」がある音が人に安らぎを与えるといわれています。

音ではないけどmacのスクリーンセーバーとかでなんとなく飽きずにずっと見てられるやつとかあるでしょ?単調だけどランダムな。それの音バージョン。

いい音について考えるとき、それは人間の生理とは切っても切れないはず。聴覚という「生理現象」に立脚する芸術だから。しかも視覚のようには簡単にキャンセル出来ないところもより原始的であると思います。もしかして生物の進化過程においては視覚よりも聴覚が先に生まれたのかもしれない。

そうなるといい音の秘密や鍵はやはり自然に隠されている気がしてきます。

森にはマイナスイオンが出てるとよく言われるけれど、「ソヨソヨ」「サヤサヤ」なんてのは「ゆらぎ」に溢れた癒される音だし、浜辺の波の「ザザー」という音、虫の合唱、遠くに響く野鳥の声なんてのも人間が人間という生き物である限り「生理的に」気持ちいい、いい音と感じる「音」なのでしょう。

それはオトコならおっぱいに憧れるのと同じ「生理的現象」。母親の愛の象徴でもあるし、父親になるだろうオトコが求める愛の象徴なのだ。

Mother breastfeeding newborn baby by photoalto on 500px.com

脱線失礼しまそた。

ま、とりあえずまず、いい音とは一つ目に「この自然の音」だと僕は思うわけです。(かなりむりやりオッパイを絡めてきたな。。。)

ところで、江戸前さん的には音楽について考えるとき、いい音とはあと4つに区分出来きると思ってます。

つづく

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あなたがいい音と思っている音は間違っている!???!

僕は職業柄といいますか、性癖柄といいますか、つねに『音』と『音楽』について考えている気がします。もうめんどくさいし嫌なんですけど(笑) 。

しかし『良い音楽』はもとより、『いい音』すら定義がはっきりしません。人によって千差万別。

実は、今日より数回に分けて『いい音』の正体を探って行きたいと思っているのですが、その前に約3年前に旧BLOGにて書いた内容をre.POSTしてみようかと思います。明日以降UPする本編と重複するところもあるかと思いますが、まぁ御参考までに。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

あなたがいい音と思っている音は間違っている!

レコーディングエンジニアの都合というか「エゴ」で言うと、楽器の録音というのは最もその楽器のいい音がするポイント、鳴ってるポイントを狙うのが一つのセオリーではある。しかし、たまにこれは落とし穴である場合があるのだ。


なぜなら、そこに奏者の耳はない。ということ。


つまり、奏者がいいと思ってる音と第三者がいいと思ってる音に乖離がある可能性が高い。ドラムなどは最もその差が大きいといえよう。ドラマーと第三者の耳の位置は多くの場合真逆とも言える関係にある。そもそもドラマーはスネアの真上の至近距離に耳があるので、その音量と音圧により聴こえ方が歪んでる可能性があるのだが(その歪んでる状態がドラマーにとって普通過ぎになっているかもしれないが、その可能性は大きい。ただでさえ側で聴いていて音がデカすぎて苦痛ですらあるから)、しかし、それが演奏トータルで見た場合重要な「聴こえ方」である可能性が高い。なぜならその「聴こえ」が全ての演奏バランスの基礎となってるからだ。

タブラでもジェンベでも、意外と打楽器奏者自身は我々第三者以上に楽器のアタック感とハイの抜けを注視しているようだ。双方ものすごく低音が出ている楽器なのだが、奏者自身の位置ではハイの聴こえの方がバランス上大きいのである。
だから録音に於いても、再生されるそのハイの質感や量、音色を非常に気にする。楽器そのものの音色の判定にももちろん関わるだろう。

同じようにアコギでもバイオリンでもクラリネットでもフルートでも琵琶でも尺八でも、奏者がどう聴こえてるのか?が、録音する際の大きなヒントというか、道しるべとなる。

最も奏者と聴く人の条件や耳の距離が異なる『梵鐘』。叩く人は至近にあり、聴く人は遥か山を越えることすら、ある。新緑の奈良県宇陀市室生寺梵鐘

最も奏者と聴く人の条件や耳の距離が異なる『梵鐘』。叩く人は至近にあり、聴く人は遥か山を越えることすら、ある。

新緑の奈良県宇陀市室生寺梵鐘

決して「ここで聴くと一番いい音がします。」で、マイクの位置を決めてはいけない。多くの場合(たまに)、ん?という顔をされる。
加え、レコーディングではその楽器奏者自身がどう聴こえているのかだけではなく、楽器そのものやその音楽の成り立ちもしっかり理解しなくてはいけない。
わかりやすく言うと、沖縄の古民家の縁側で静かに弾いてこられたであろう三線のCDに、極端なリバーヴなど本来はありえないのだ。
沖縄民謡って教会で演奏されてきたのか?(笑)
もちろん制作上の意図であれば別だが。
これは極端な例ではあるが、このように、「この楽器とはなんなのか?どんな音なのか?」というのは、単純に「いい音、素晴らしいサウンド」であればOK!などという簡単なモノではないのだ。

しかし、かと言って全ての楽器について深い造詣を得るのは非常に難しい。
だからこそエンジニアはマイクや機材に向き合ってはいけない。
しかもまずは楽器自体に向き合う前に、奏者自身と音楽に向き合うべきだ。
現場で若いアシスタントと新しいプロツーのバージョンの音の違いなどという些細な事を話してる暇があるなら、様々な奏者と雑談でもして、少しでもこれから録音する音楽についての情報と、楽器の音を引き出すべき。

江戸前ではご存知のとうり、ドラムについてはそこを徹底的にやっている。
しかし、可能なら全ての楽器と音楽についてそのアプローチを取りたいと常々考えている。

いい音である前に、いい音楽になっていなくては話しにならない。
音を伝えるのではなく音楽を伝えねばならない。ましてやマイクの特性やプラグインの個性を伝えてはいけないyo。
 

初出2014年6/13日

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「隠された」才能

世の中には物凄い才能や表現力に溢れてるのに日の目を見てない演奏家やアーティストってのは沢山いるとおもいます。あぁ嫉妬するぜ。とにかくその才能に。。。

しかし!それら才能に溢れてるのにCDを出した事のない人、大勢の人の前で演奏する機会を未だ得てない人など。いや、ライブすらほとんどやらない人というのもいるでしょう。

チャンスに出会うのも才能とも言えますが、むしろそういうチャンスから意図して離れるようや孤高の人もいるかもしれない。

山奥にひっそりと潜む美しき「才能」。奈良県宇陀市室生寺にて

山奥にひっそりと潜む美しき「才能」。奈良県宇陀市室生寺にて

しかしそれはやはり世の中の共益という意味では「もったいない」と言わざるを得ない。

また、そういった才能を放置するカタチになってる業界にも何か問題があるのかもしれないし。

 

例えば大手財団がやるような「メセナ活動」なんてのもジャンルやその援助する演奏家やアーティストの選定方法において問題がある事も多いと聞きます。 

 

レコーディングというものについても、そういった才能があるのに「CDを作るチャンスもなく、作るという発想すらない」という人もたまに見かけますが、ほんとにもったいない事ですよ(笑)。特にCD産業に取り残されたような大きな売り上げを端から見込めないと断言されてしまってるような状況のジャンルの人たち。。。

 

伝統音楽の世界の人たちにそういった状況が多い気もしますし、ひたすら自分を磨くことだけに集中している「唯我独尊天才タイプ」の人もいるでしょう。

 

最早そんな方々がこのわたしのブログを読んでるとも思えませんが、そういったレコーディングとかCD制作について全く知識がないアーティストの方、また、CDを作るなんて思ってもみた事がない方々。

 

そんな人のチカラにわたしは、なりたい。

 

是非江戸前レコーディングスまでお気軽にご相談ください。

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おっぱいいや音楽のリアリティとわ

先日マクドナルドで写真撮影のレクチャー本を読んでおりましたら「写真にどうストーリーを感じさせるか」という項目がありました。

ballerina by Marta Bevacqua on 500px.com

たとえば女性の写真の場合、ただ美しく撮るだけではなく脱いだブラウスとか靴下とか、ヌードなら下着を脇に置いたまま写し込むだけで「ストーリー」が生まれると。
簡単にいうと想像力が掻き立てられる訳です。
他にも水着の跡だったり鳥肌というモノの扱いが「リアリティという名のストーリー」に深く関与してくるとのこと。

これは全く持って音楽にも言える事ですし、今の音楽に最も足りてない要素な気がします。
つまり、ラーメンの写真なのに湯気が立ってないじゃん!!みたいな(笑)のですよ。

音楽で言うとまずは一見不要なノイズ成分。フレットノイズやピアノのダンパー音 。オーケストラの録音に於ける指揮者が構えた時の「ざっ」とした団員の衣摺れの音等々。
マニアックなところで言うとギタリストのエフェクターの踏んだ音や一瞬途切れた様子。バスドラのペダルのキコキコ音。
これらは全て、「あぁ人間が演奏しているの哉」を意識させます。

ノイズ面だけでなくテンポが揺れたり走ったりとか、キメの一瞬のズレや。また、大サビの一番高いところで歌が一瞬掠れるとか、曲最後のロングトーンの消え際でほんのすこし音程が下がる、とか。

そういったなんでもない「ちょっとした風景」が音楽にストーリーを生みます。

昨今「インスタ映え」というのがあるそうで食べ物でもなんでも「どう美しく見えるか、いいね貰いやすいか?」が重要とのこと。しかし、ラーメンのインスタ写真だとしてあまりにもアングルや写りが良すぎたり箸や胡椒の配置まで計算してあったりすると
「あぁ、ラーメン食べるのそっちのけで写真撮ってるわ。そんな事してたら麺伸びてまうやん」
となり、
「ほんとに美味いラーメンならまず食うだろ」
と、そのラーメンの美味しさそのものに懐疑が産まれたりするもの。

つまりこのようにレコーディングも「ただ美しく均整が取れていて精確」というのでは味気も何もなくなるような気がしてくるのです。

ちなみに筆者の場合は、おっぱいの写真ですと下着の跡が残ってる方が「リアリティ」を感じる事が出来て、よろしいかと思います。

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メ○ルス○アのmix。

だだいまスネアのmix中なのですが(ってスネアだけじゃなく曲ですねwww)いろいろめんどくさい処理が必要となっています。普段パーフェクトな状態の録音なら(つまり楽器のチョイスとチューニングがしっかりしていれば)、特殊音像にする場合以外はスネアにプラグインなぞ95%の割合で不要なんですよね!
しかし今回は写真の通り。。。。負け(負けってwww)つうか、外部さんで録ったやつなもので。。。

ここでひとつドラムレコーディングの重要点、スネアの音造りについてのヒントを。
スネアの音、特にアタック感や密度感はマスタリングでかなり変わってきます。かならずソレを想定した音造りをしましょう。ヤリすぎては完成時にがっかりすることになります。(硬い音にしすぎない事だよ!)

それと意外とカンカンしたスネアは抜けてきません。
抜けとは『カンカン成分が多くて一見目立つ』ということではなく、
『実体がしっかりそこにある!』感です。
そこを取り違えている人があまりに多いですね!(mixが『カンカン』部分がどのぐらい聞こえるのかという基準になってしまい、相対的にmid~lowが小さくなる故)



蛇足ですがベースサウンドでも全く同じ。
ハイ成分が多い一見『抜け』が良いハイエンドベースにありがちなのですが、
問題は『スタジオでもステージ上でもしっかり低音でアンサンブルを支えている』
感と、『ベースがまさにここにいる!』感がしっかりあるのかどうか?
それが『抜け』なんだとおもいます!

そこ、勘違いしてる人がいるような気がします。
楽器屋さん、演奏者さん、楽器職人さん、エンジニアさん含め一定量的に。

 

あ、メタル、関係なかったか(笑)
 

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新BLOG開設のご挨拶ぅ(深淵なる欧米のプロデューサーによる『レコーディングドラムサウンド』)

江戸前レコーディングスの鹿間朋之です。いつもお世話になっております。

我がEDo-maeのサイトですが去年リニューアル致しまして、その際残念ながらご好評頂いてましたBLOGも自動的に消滅。。。しかし再開の希望も多く、今、ここに、その再開を宣言するものであります。(笑)

暇な時とは言わず週に1-2回は更新してレコーディングについて、ドラムサウンドについて、音楽の深遠なる世界について、オッパイについて等等書いてゆこうかとおもいます。

差し当たりネタが思い浮かびませんので、旧BLOGの資産を有効活用すべくその中からちょくちょく修正や加筆をして再掲させても頂こうかとおもっています。もう皆さん内容を忘れているにきまってるので(笑)

コメント欄やいいねボタン、シェアボタンもありますので、お気軽に拡散頂けますと僕の今夜のBEERが美味しくなります。よろしくお願い致します。

んなわけで。

CDという録音作品においてドラムサウンドというのは音楽全体のハイファイ感やローファイ感また、時代やジャンル感を強烈に引っ張る作用があります。
そこにはタイコ自体から出ている倍音の性質や、バランス、サステインやアタック感などすべての音の要素が関わってくるわけです。叩き方ももちろん関係してきます。コーテッド系ヘッドで優しく鳴らすのと、ピンストをがっつり叩き切るのでは漂ってくる雰囲気が全く異なってきます。

CDをプロデュースする際、欧米のプロデューサーはやはりドラムサウンドをコントロールするのに非常に長けています。日本のプロデューサーはどちらかというと収録後のミックス処理や他の音を重ねていく事でサウンド作りをする傾向がある気がします。それはスタジオ環境や使える予算、時間の余裕などにも関係してくるのでしょう。予算も時間も「心の余裕」もないのにドラムサウンドに一日掛ける、などというのはありえません。また、一流スタジオミュージシャンほど自分の音を持っているもので、よほどの統率力と引率力そして音のビジョンを持つプロデューサーでなければ、ドラムの音作りにめちゃくちゃ時間を掛けるというふうには現場はなかなかならないのかもしれませんね。

つまり、日本では「ドラムの音なんてこんなもんでしょ?」というようなムードが一般的(こだわってないとか、気を使ってないなどと言うつもりはございませんが)。しかし僕の場合はやはりそこは超ウルトラスーパー最大に重要なポイントであり、関心事で音の要であります。膨大な楽器で質感を追求しなくてはならないのです。時間は掛かって当然なのです(自分のプロデュース作品の場合)。もちろんクライアントの要求の度合いにもよるのですが。

ここでドラムサウンドを作る上で参考になる音源をひとつ。

Meshell Ndegeocello / Weather

プロデュースはジョーヘンリーです。アコースティックでトラッドな雰囲気の中に非常にアーバンで洗練された音作りをするアーティスト•プロデューサー。ミッシェルのルーツである土着なサウンドを高貴に仕上げています。この音を聞くたびに音楽の「質感」にいのちを掛けるような深淵さは日本人にはないのか(もちろんそれがある人もいるにはいます)、と悩みすらしています。このCDの場合のようなサウンドはアフリカおよび欧米由来のサウンドなわけですから、日本人にそれを求めても仕方がないといえば仕方がないのかもしれませんが。。。

この作品のドラムサウンドのポイントは、キックとスネアで泥臭いテイストを出しつつもタムがとてもモダンなサウンドになっているということです。曲にもよりますが。
ビンテージラディックな三点にタムだけdwやソナーを持ってきました。みたいな異種混交な音作りに痺れますね。録音処理的にはハイファイです。
もちろんギターなどの弦楽器、ピアノも見事。ミシェルの声の質感も全て高度にスーパーコンピュータで計算されたかの如く。ビンテージライクな太鼓をハイファイに録りつつ周りの楽器の質感に泥臭さをあえて残している座布団三枚!な処理。

ぜひこれから来る梅雨の夜長にでもアフリカの月を愛でながら聴きたい音楽です。

あ、ここ日本か。
座布団で思いだしたけど結局所詮は笑点のopテーマみたいな音楽の方がほとんどの日本人にはぐっと来る。
そおいうものです。ルーツとは。

初出 2014.6/8

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