狭いからこそ音が『遠くなる』のはなぜよ?

寒! 

レコーディングでは各楽器の音像の『位置』というのがとても大切です。LRのスピーカの間または外のどこに・どの奥行きで配置するか。。。例えばやはりドラムは残響感とは別になるべく近く大きい音像でレコーディングしておくにこした事はないのです。

ところで、広いレコーディングスタジオだと、ドラムの録り音が遠い感じになる事があるというのはなんとなくイメージ的にわかりますよね?

しかし!

実は狭くても音響処理の悪いレコーディングスタジオこそ音が遠い感じになるというのはご存知でしょうか?
音の遠い近いというのは、マイクと楽器の距離からくる距離感の事ではなくって。

狭い部屋で音が遠くなるというのはなぜかというと、近接する壁からの「初期反射音(アーリーリフレクション、一度目の反射音)」が位相レベルでマイクの生音に被ってくるからなのですね。つまり反射音が直接音に波形レベルで影響を及ぼすという事なのですよ。それが時として逆位相として打ち消す作用をもたらす。

広いレコーディングスタジオの残響音というのは直接音には作用しないのです、なぜなら遅れてマイクに届くから。問題は近い壁からすぐに跳ね返ってくる初期反射音の質なのです。それがマイクに被って直接音に悪影響を及ぼす。。。吸音処理が適切ではない壁のレコーディングスタジオで音が遠くなるというのは、そういう理由なのですね。狭いから張り付くような音になるというのではないのです。(ドラムだけに限らずすべての楽器のレコーディングに関係します)

ちなみに江戸前では、非常に適切な壁処理が施されておりますので、音が遠いなどというコトは全くございません。(※設計はドラムマガジンさんでおなじみ、アコースティックエンジニアリング社さん)

さらにちなみに演奏面で言いますと、響きすぎの壁だとドラマー本人にとってうるさいのでショットが小さくなってしまいます。逆に吸いすぎはさみしいので叩きすぎになってしまいます。
ひょっとしたら壁の質というのは、マイクにどのようか音が入ってくるのか?という事よりも、実は叩き手のショットが変わってきてしまうという事の方が大きいかもしれませんね(笑)

なのでドラムの音というのは難しいのです。(笑)
無意識の意識がありますんで。

ちなみに音像の近い遠いに関しては、特にドラムレコーディングに於いてはケーブル長がものすごく関係しているというのはいつも言ってますが(笑)これもまたそのうち書きますね!

スネア女子 撮影 : 江戸前さん。モデルRACCOちゃん。

スネア女子 撮影 : 江戸前さん。モデルRACCOちゃん。

レコーディングにおいての『余韻や情緒のやうな』モノについての扱い方は。。。

(あぁ、なんて解像度の粗い写真でしょう。。。。)

614.jpg

さて。。。。 

ピアノ楽曲でたまにサティとかの音数の死ぬほど少ない曲を聴きたくなる時があります。一部のドビュッシーとかラヴェルとか、シルヴェストロフとか。。。
それらはリストだのショパンだのの技巧系音数詰め込み系ピアノ曲よりじっくりピアノのトーンを味わえる気がしますよ。

同じようにドラムサウンドについても、音数少ない淡々としたプレイにホッとして酔いしれる事が出来る時があるけれど、そのようなプレイをする人はなかなかいない気がいたします。
というか、ドラムからそのようなホッとする素晴らしい音が出るというのを知らないリスナーやレコーディング制作者も少ない気もしています。

ひとえにポピュラーミュージック関係の制作者やエンジニアというのは、レコーディングにおいて音の減衰や余韻というものの扱いが非常に雑な気がしているのはぼくだけでしょうか?
その証拠に曲終わりのフェード処理の雑さをよく耳にしてしまうことが挙げられます。シンバルの余韻は果てしなく長く美しいはずなのだけれど、ズバっと雑なフェードで誤魔化す。
そこらへんから、音に対するセンスというか愛情というかについて残念な気持ちになってしまいますし、ミックスにおいての様々な音についての短絡的で雑な扱いが垣間見えてくる、気がするなぁ。

例えば最近のレコーディングエンジニアや制作者は生楽器に触れる機会がめっきり減ったといいますが、コンサートホールでのオーケストラの美しい余韻が、一部の興のわからない観客のデリカシーのないフライングなブラボーや歓声・拍手で掻き消され、イラっとした経験すらないのだろうなと他人事ながらさみしい気すらしてくるのです。

一人リズムオーケストラとも言えるドラムの音について、センスや愛情の感じられないレコーディング作品が存在するとすると、
それはそういった原始的なリスニング体験・感動体験がない人の手によるものなのかもしれないと、勘ぐってしまいますね。

『終わりよければ全て良し』ではないけれど、楽器の・音楽の美しさは余韻に集約される。
通して聴いたその曲が素晴らしければ素晴らしい程、最後の余韻は大事になってくると思うのです。

どうなのでしょうか?

余韻の雑な音楽はtopの写真のような画像に等しいのかもしれないな。(音の余韻の美しさはデジタルレコーディング理論的にいうと、bitという数値がよいほど(16bitより24、32bit。。。)美しく再現されるといいます。そのbitをわかりやすく写真にたとえると、画像の編み目の細かさといえるのです。)

 

ウチに所属しない?ウチから出さない?

 アマチュアバンドや経験の浅いアーティストにとって嬉しいかつ、危険な囁きかもしれないのが、

「うちに所属しない?」「うちからCD出さない?」という類のお誘い。


芸能プロダクションと一緒で物凄く真っ当な話しからとてもじゃないけど胡散臭いのまで様々あります。


写真はネタに関係ありませんイメージです 

写真はネタに関係ありませんイメージです 

 

しかし、ここではその見分け方や是非を書くわけではありません(笑)。

 

 

まぁ、そう言った話しを貰うと大抵嬉しいわけでその人や会社の話しを聞こうというバイアスは当然かかるのは人の心。

 

そんなとき、よく言われるのは、

「もっとポップな曲書いてよ」

「歌詞はもっと云々」

「ギターのフレーズはもっとこうだよ」

「◯◯ちゃん下手だからスタジオミュージシャンで」

「◯◯ちゃん下手だからメンバー変えよう」

「誰それは首」

。。。。。。。

 

プロダクションやメーカーの人のは一般的にはあなた方より音楽が詳しかったり経験がある(と思いたい)わけです。

しかしその意見は全て正しいのでしょうか?

 

いや、音楽的にはもしかしたら確かに正しいのかもしれないけど、バンドメンバーの考えやアーティストとしてのポリシーとしてどうなんだ?本当にそれがやりたいことなのか?

という問題が出てきます。

 

音楽は音楽である以前に表現ですから、理論やしきたりを最重視しないジャンルである限り、よっぽどではない限り自分たちがどうしたいのか?が1番大切だと思います。

 

極端な話し、

英語の歌詞の文法が間違っていようと、

「この方がゴロがいいし、気持ちいいから別にいい」

で、全然オッケーなわけです。

別にアメリカの音楽の教科書に載せる曲作ってるわけではないんだし(笑)。

 

世界中の色んなアーティストが

「ファーストは自由に出来なくて辛かった。あれは俺の作品ではない」

みたいな事を言ってますよね。

 

例えはそんな錚々たるアーティストの中でもプリンスとかクラシックならグレングールドは好きにやらせてもらえたみたいだが(本当のアーティストオブアーティスト)。

※契約や金銭面のトラブルは別(笑)よ。※後述

 

「こうしたら売れるし、売れたら好きにやれるから」

とか言われますよ。

 

しかし、

 

"売れたらまた同じように売れるモノを求められる"というスパイラル。

売れればなんでもいいならいいけど、そうじゃなければアーティストとしてかなりのストレスになるでしょう。

サラリーマンになりたくないからアーティストやってるのに(違)。

 

レコーディングするにあたり1番大切なのは、自分がどうしたいのか?どう表現して演奏したいか。

 

これを絶対曲げてはいけない。

 

事務所やメーカーがつくと、金の問題も絡んできます。

ようするにスポンサーがつくという事に近いわけで、そのスポンサーの言う事を聞かなきゃいけないというのも確かにある。

けど、音楽は普通の「商材」ではないのです。

 

「こっちのいう事を聞かないなら、この話なしで!」って言われてポシャるぐらいでいいんです。

 

そういうバンドならまた絶対声掛かりますし、そういうバンドが求められてますからね。

 

ところで、そういった事務所やメーカーが声を掛けて来たときに、しっかりお金の話はしましょう。

 

レコーディング、プレス、流通、その他フライヤー、ポスター。

 

CDリリースに当たって掛かる経費のどこまで出してくれるのか?

 

そこは対等に話しして文面で残す。

 

それが逆に相手を尊重して信用するって事ですよ。

 

 

それでトラブってるアーティストは世界中に枚挙にいとまがないのですから。

京都の花街に見る、成長を愛でる文化と処女性の尊さとレコーディング技法。

あまり詳しくはないが、所謂京都などの「花街」の文化。

 

早いと中学生くらいの娘さんが仕込みさん(一般でいうところのお茶汲み、スタジオでいうところの電話番(笑))として、置屋(事務所的な)に入り、色々と勉強させてもろて数年で「店だし」する。つまり「舞妓」としてデビューするわけだ。

所謂クライアントというか旦那衆は店だし前からお気に入りを特に気にかけ、舞妓としてデビューしたら毎夜のように座敷に呼んで可愛がる。

で、ほんとに贔屓にする娘であれば

「昔なら」ば、大金を払って「筆降し」をする。

 

つまり「処女を購入」する。

 

鴨川をどりの本番のために歌舞練場入りする舞妓はーん 

鴨川をどりの本番のために歌舞練場入りする舞妓はーん 

詳しくは知らないけどその大金のほとんどはそれまでその舞妓を育ててきた(出資してきた)置屋に入るのだ。また、過去の厳しい裏歴史としてはそうやって彼女らは搾取されたわけだ(これはあくまで相当昔の話)。

 

そして筆降しされた舞妓は晴れて「芸妓」に昇格する。(舞妓と芸妓の違いはgoogleへ)

 

今のイメージだとAKBを卒業してソロ活動に入るみたいな(笑)

 

花街の文化をひとつの芸能とするならば、それは1人の女性の成長を愛でる芸能文化であり、その過程を楽しむ文化(高貴なイメージや伝統を蓑に、性の搾取の側面は綺麗に消しながらの)。始めはとにかく初々しかったのが舞妓芸妓と成長するにつれ、舞や踊りから三味線や唄を唄うようになって、芸や唄も円熟してゆく。その移ろいに美を見出す(四季を愛でるように非常に日本的な)究極の贅沢とも言えるわけです。( 現在はそこに「性」のシステムはないと思うけれど(建前上は))

 

で、それをもっと一般的な文化芸能で見ると、まさにアイドルはそれだし、広げていくと若いアーティストや女性に限らずバンドだったりもしかりだ。

 

粗削りだけどカッコ良かったのがどんどん変質していって音楽として深みを増していくわけだから。

 

昨日、松田聖子のファーストシングル「素足の季節」を聴いていたら、まことに下手で(笑)。

しかし、松田聖子のどの唄よりも力んでいて気合いが入っていて、頑張って歌っている。

 

おそらく死ぬ程毎日毎日練習させられて気が狂いそうなスケジュールをこなしながらレコーディングに臨んで、泣きながら録ったんじゃないか?みたいなのがその歌から伝わってくるのだ。

 

その涙の跡みたいなのが舞妓さんが「堪忍やで、堪忍しとくれやす◯◯はん」みたいにグッとくるわけよ、

歌として。。。

 

それが2枚目の「碧い珊瑚礁」になると、力がスパっと抜けている。上手くもなってる。

「◯◯はん、ウチ成長したやろ?可愛いなったやろ?」

 

その後松田聖子はアイドル路線を突っ走り、「瑠璃色の地球」で自作曲に挑戦したり、最近(といってもだいぶまえ)は「あなたに逢いたくて」という熟しきったオトナのオンナになるばかりか、娘の神田沙也加の母親を超えるまでの天才的歌唱とブレイクにまで繋がるわけで。

 

本来音楽は、音楽を一生やっていくと腹をくくるなら、そのぐらい長いスパンで表現される芸術だと思う。強烈に。

 

スティングなんて、デビュー時はイケメンのチャラいインテリなチンピラで泡吹いて歌ってたのが、今や禅僧のような佇まいで静かな曲を歌ってる。

(最近はまたロックやってるけど)。

 

 

 

「唄下手でも堪忍やで、ウチ頑張るさかいに。(ウチはまだまだ処女やさかいに、旦さんよろしゅうおたのもうします)」。。。。

 という禁断の風情。

 

 

しかしそういう味わいも佇まいも余裕も何もないのが今のアイドル歌謡やその他の音楽だ。

 

だから、下手は下手なままでいいのよ。

 

修正すんな。

 

今1番大切な要素を捨てるな!

 

唄もドラムもピッチもタイミングも。

 

成長するんでしょ?ずーっと音楽やると決めたんでしょ!??!

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伝統とはなんぞや。受け継がれゆく、

​江戸前さんは最近写真にハマっております。

ひょんなきっかけでオリンパスの大衆機デジカメのPENを購入し、なんとYUIKO MIZUSHIMA AND THE BIWA INSTITUTIONのジャケやポスターまで撮影しましたが、そのPENで。そのごfujiに移行。

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olympus PEN E-P5によるYUIKO MIZUSHIMA (BIWA) 

 おなじく、olympus PEN E-P5によるYUIKO MIZUSHIMA (BIWA)とPearlのTOSHI 永井モデルのスネア。

 おなじく、olympus PEN E-P5によるYUIKO MIZUSHIMA (BIWA)とPearlのTOSHI 永井モデルのスネア。

しかもさらに、なんとフィルムカメラにまで手を出し始めましたよ(笑)レンズ沼は当然フィルム沼。。。

 

そのフィルムカメラは父親の遺品(まだ死んでない、つまり生前贈与)で、まぁ僕が小さいころに僕を撮る為に買ったやつだと思われます、小さなころから親父が大切にして良く撮ってた記憶があります。当時は全く触らせてくれませんでしたね。

 

そのnikon F初期型は超高級品だったらしく、今の価格だと100万近いとか??

 

ま、それをポーンとくれた訳です。レンズ三本付きで。

 

手短かに何が言いたいかというと、50年近くも前の機械が未だに動いてなんの遜色もない、という事なんですわ。

 

この、事実。

 

これはドラムにも言えます。

 

江戸前では1920年代のスネアが未だに現役ですよ(ludwig & ludwigのパイオニア)。

 

また、そこまで古くないですが、negiのジャズセット。

これは、ジャズドラマーの横山くんから大切にお預かりしてる逸品なのですが、彼が小さな頃から叩いていた想い出の品。

 

細かい話しは省略しますが、横山君の親父さんがどっかから入手してきてカバリングを親父さん自身が日曜大工的に張り替えたモノだそうですが、

 

これがホントにいい音するんですよ。

 

息子の為にドラムを仕入れて来て見た目を綺麗に復活させてあげて自由に叩かせたという「粋な親父」、横山くんは静岡の人ですが親父さんはかなり「江戸前な人」ですなぁ。

(笑)

 

 

このようにカメラも太鼓も、世代を越えて受け継がれ大切にされる。

写った写真になにかが宿る、叩いたその音にプラシーボかもしれないけど深みや郷愁を感じる。

 

こういうのが理屈ではない「画や音」の深みになるのですね。

 

現代のデジタル一眼カメラや最新のソナーのドラムセットも素晴らしいし大切にはしますけど、大切の意味が違ってくる。

 

こういう風に感じることができれば、

それは人としてまだAIとかに負けない、「人らしさ」であり、そこがアートの源流になるのではとつくづく思うわけですよ。

 

そういうモノがさらに何世代も、血縁とか関係なく受け継がれていくとそれは伝統ということはなるのではないでしょうか?

 

苦労して受け継いでいくもの。

 

 

伝統とはなんぞや、の答えの一つでしょう。

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日本の色、演奏の色

日本人にとって多くの音楽ジャンルは「舶来」だ。クラシックもジャズもロックも。。。

もちろん日本人なりに咀嚼して再構築し、自分のモノとしている音楽家も沢山いるだろうし、国際的に大きな評価を得てる人も多い。

ところでここで次の写真を見て欲しい。ネットで拾って来たものであるが。。。

貴船神社 by Alvin Huang on 500px.com

Timeless by Shawn Liu on 500px.com

 

どうだろう。確かに良く撮れて美しい写真ではあるかもしれないが、なにか不自然ではないだろうか?多分に加工しているからというのもあるが、それよりも直感的に日本人として感じるのは、これは日本の色あいではないな。ということ。

 

これらの写真は外国人が撮影したモノだが、

「まったく日本を理解してないよなー。けど、こういう解釈もあるのか、俺は嫌いだけど。。。。」

 

いや、これは解釈というより無理解だと思う。「うわべ」しか見てなく無勉強だし本質にたどりついていない。

 

音楽にもこういう事が言えるかもしれない。特にクラシックやジャズでは日本人の演奏がそういう評価を「向こうの人」からされてしまう事があるのではないだろうか。

 

もはやクラシックやジャズも国籍が無関係なグローバルな芸術ではあるけど、芸術あるが故にどこまで進化しても外せない「本質」があると思う。それをしっかり勉強して追求してきたかというのは、音楽であれ先の写真のように一発でバレる。

 

しかし!

 

先の日本の貴船神社や浅草寺の写真のような「一見美しいけどトンチンカンな色あい」の写真を日本人ですらも良く撮る。

 

もう、ここまで来ると日本人こそ日本を理解してないのではないか?としか言えない。

 

国際社会において本当に恥ずかしい国民性だと思う。

 

 

 

そうだとすれば、ね、

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身長の高いギタリストに音が細い人が多いという話しとドラムサウンド・・・

タイトルについての内容は後の方に触れますよ(笑)

 

どうして一部のドラマーは、ミュージシャンは自分の出してる音の「細さ」に気がつかないのか?

 

ドラマーに限らずミュージシャンたるや自分のサウンドで最も気にするポイントは「ヌケ」ではないでしょうか。または「パワー」だったり「存在感」?

これらは言い方は違えど似てる用語と言える気がします。

 

とにかく自分の音を際立たせたい!というのは誰でも通る道だと思います。

 

ドラムならより倍音がある、アタックのある、パワーのある(音量という意味ではないチカラのある)分離のよい楽器を選ぼうとするでしょうしそういう楽器が「差し当たり」売れやすいのではないでしょうか?

どこにあっても目立つスネア。。。

どこにあっても目立つスネア。。。

 

ここで注意しなくてはならないのは、ラーメンでもそうですが、

「どのくらいの味の濃さやしょっぱさ」が自分に適当であるか、です。

日頃、味の濃いものしょっぱいものを好んで食べている人はあっさりなモノや素材を活かしたような京料理のようなモノは物足りなく思うでしょう。

 

で、またしょっぱさや辛さというのは慣れるというか麻痺するものです。

で、ドラムですが。。。

 

ドラムの音量というのはとてつもなく大きいものです。みんな忘れてるかもしれませんが(笑)

 

レコーディングでマイクをセッティングするために屈んでたりする時、隣で普通の音量で叩かれているだけで正直しんどいものです。

(エンジニアさんが側にいるときは叩くのに注意しましょう)

 

で、多くのドラマーが日常の演奏活動と引き換えに陥ってると思われる「聴覚におけるハイの欠損やバランスの乱れ」。これがとてもその人の楽器選びに如実に関わってきていると思われます。

 

つまり、耳のハイが落ちてるからハイの特に出ているシンバルや楽器を選びがちになる、ということなのです。

その人にとってはちょうどよい「しょっぱさ」でも周りの人からみたら「しょっぱすぎ」。これが音が細いと評価されるドラマーやまたはその他のミュージシャンの「原因の一つ」であることはほぼ間違いありません。

 

「ハイが相対的に多いと音が細く感じる」のは誰にでもあきらかな事ですし、

「音のヌケ」とはハイが出てるかどうかとはまた別問題で、音が細いほどヌケてこないんですよ。

 

しかし、この音が細いかどうかというのはドラマー本人は全く気がつくことができません。なぜなら生音で自分の音と他人のドラムの音を同じ条件で聴くことは不可能だから。また、ドラムの録り音をそのまま出してくれるエンジニアも少ない。

 

リハやステージでのバランス、レコーディングのヘッドホンバランスもですが自分の音というのは心理上小さめに聴こえるという経験をした事のある人も多いでしょう。自分が聞きたいものはより大きく、つまり自分が聞きたい成分はよりデカくというバランスの取り方をする人は多いのです(特に初心者)。

 

ドラマーはただでさえ音が大きく耳を痛めやすいです。そこで物足りないからと音量を上げたりよりハイの多めの楽器を選ぶという悪循環。

ここに気をつけないとただ痛いだけのヌケない細いサウンドを繰り出すだけの演奏家になってしまう可能性があるのです。

 

ここで、やっとブログタイトルの「身長の高いギタリストは音が細い事が多い」説。をご紹介しましょう。

ギターアンプの多くは足元や高くても腰の辺りで客席へ水平に向けて鳴ってる事が多いですよね。そしてギタリストの耳は上の方にあります。

で、高い周波数の音ほど直進性が高いのですがつまり、スピーカーの位置に対してギタリストの耳の位置が高いほうが高い音域が届きにくいという状況になってるのです。で、ハイを上げ目のセッティングにしがちになる。

音が細い。。。。。。

(当然ですが背が高いギタリストは全員なんてことはもちろんありえません。 1つの傾向というか仮説です。)

座って弾くジャズ系のギタリストのアンプは比較的耳の高さの位置にあります。そんなギタリストの音は太いことが多い気がしませんか?

セミアコだからとかフルアコだから、というのもあるでしょうが。。。

 

自分の耳のハイのバランスはどうなのか?アンプ環境やモニタリング環境のハイの聴こえ方はどうなってるのか?

この辺に注意することで自分の出す音の太さやヌケを改善することの一歩が踏み出せるということをお伝えしたいですね。

 

ドラマーに限らずシンバルのチョイスだけに関わらず。。。。。

 

とにかく細い音は音楽に寄与しませんから。。。。

非常に僭越ながら苦言のようなモノwo...!

ピッチシフターおよびタイムストレッチの技術を応用したソフトウェア及び技法で、ドラムのリズムエディットをしているレコーディングエンジニアやアレンジャー等のみなさん、極端なまでにEQを多用するレコーディングエンジニアのみなさんに対する苦言。


みなさんまずは、
「ドラムの音が鳴るまでの事を1からイメージしてみてください。」

ドラムメーカーや職人が音色を研究し、様々な材やパーツを試行錯誤して楽器を開発し、製造します。

沢山のドラマーが血のにじむような努力をし自分のプレイと音色を研究し、練習します。

ドラマー本人やスタッフまたは、場合によってはドラムチューナーという専門家が素晴らしい作品を作るためにベストな音色、ベストな叩き易さの楽器をチョイスしその曲に最もふさわしい音色や倍音構成やアタック、サスティーンにセッティングします。

ドラマーが心を込めて演奏します。

そして、

あなたの手元にやってくるのです。

リズムエディットについてはプロデュースサイドの方針もあるのでその是非についてはここでは述べません。
問題はピッチシフターおよびタイムシフターを元にした技術•手法では音が変わる、音色が変わるという事です。(もしかしてそれに気がついていないのでしょうか?。)
「当たり前」ですがEQでも変わります。

やむにやまれぬ事情、またはクリエイティブな事情によりそういった技術を使うのは問題ないでしょう。
演奏のどこかのちょっとした瑕疵をフォローすることで全体の音楽のクオリティがキープされるならば。また、ケロケロボーカルを作る、等。

しかし、何も考えずに勝手にそういった処理でドラムの音色だけに限らず色んな音をマイナス方向に劣化させているレコーディングエンジニア等が非常に多いようです。(考えてない訳ではないでしょうが生ドラムの良さや特徴に重きを置いていないと言いますか。)

私は基本レコーディングエンジニアなので他のレコーディングエンジニアの仕事に遭遇する事はありえないのでこれは伝聞になりますが、こういったことは主にドラムチューナーや一部の意識の高いドラマーの方から聴くことが多いです。

彼らはリアルタイムで、今さっき心を込めて作り上げた素晴らしいドラムの音色を目の前で破壊されるという事に遭遇するのだそうです。

これは、出て来たばかりのパスタに何も考えずタバスコをドボドボするような行為に例えられますし、ケーキに醤油を掛けるようなモノなのです。
お客の立場でどういった食べ方をしようがまぁ勝手なのですが、この場合問題はウェイターのような立場である人間がシェフから出された料理にコレをやってしまってるという事です。(こっそりドラムサウンドをサンプルに差し替える行為もしかりです。)

どうしてたかがレコーディングエンジニア程度の人間、時にはなんとアシスタントつまり丁稚のような人間にこのような音楽の破壊行為をする権利があるのでしょうか?(そう、全く信じられませんがエンジニアやアシスタントの勝手な独断でそれをやってる事があるのです!)
あなたには真の意味の音の良し悪し、楽器の音の良し悪しがわからないのですか?またはそう誤解されても仕方がないのではないでしょうか?

ボーカルの過度なピッチ修正しかりです。これも勝手にやるなや!(※ピッチ修正過剰問題を昨日考えさせられたのでみなさんにわかりやすい「ドラム」に置き換えて考えてみた。)

 

しかしながら実はそういった仕事の仕方を容認するカタチになってしまっている制作サイドやミュージシャンの側にも大きな責任があります。どんなエンジニア•スタッフであれ現場の音楽を「悪くしてやれ!」なんて思ってるという事はありえないはずなのにです。
つまり、「エンジニアさんがやってる事だから」悪いから言えない、という事はありません。

『こんな音じゃない』『自分の出してる音に聞こえない』『音がいつものイメージと違う』。。。等々言えば理解してくれると思います(実現してくれるかはまた別ですが)。いい音を皆が目指しているはずなのですから。。。

日本の音楽が、特にこの場合ドラムサウンドが本当に「ダメ」なのは(ダメな率が高いのは)こういう事情やそれぞれの立場を過剰に忖度した仕事の仕方にもあるのだと、これだけは想像できます。

本当に哀しい事です。

音や音楽を扱う人間は、こういった基本的人権のような生の奏者の音をもっと大切にしなくてはなりません。

機材やスペック、ましてやハイレゾだのなんだのそんな事よりまずは基本的な音と音楽の扱い方を大事にしていただけないでしょうか。

そうすることであなたの中の極々個人的な「レコーディングス技術」や「ミックス技術」「音質」は見違える程に良くなると思いますよ!。

ドラムレコーディングとその他のレコーディングなら江戸前スタジオ!
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シライキートレヴュー『耳クソが取れた気持ちよさ!』

梅雨明けイコール夏本番イコールビール。。。
皆さん、実践してますか?


『耳クソが取れた気持ちよさ!』


さて本日のブログはですね、梅雨も明けたってことでなんと「シライキート」をレコーディングにて使用させて頂いた感想を、僭越ですがちょびっとだけレポートさせて頂きます。
(江戸前では6月初頭、数日間18インチのkeetセットをお借りしレコーディングやその他で使い倒させていただきました。)

「シライキート」。
そのルックス、そして価格など皆さん良くご存知でしょう。
そして、サウンド。
多くのドラマーさんが叩いてレポートしてくれてると思いますし、実際に購入された方試奏された方も沢山いらっしゃると思うので
一般的な感想はここで述べる必要はないかと思います。


しかし、一点だけレコーディングエンジニアの視点での感想を書いてみたいと思いますね。


まずはそのkeetのレコーディングされたサウンド、お聴きください

演奏はジャズドラマーの紺野智之氏です。
使用スネアもkeetです。

もちろんNO EQ NO COMPでございます。


さて、どうでしょう??
シライキート、


。。。。。。。



周波数特性が無茶苦茶広い。。。。。



これです。

具体的にいうと、

無茶苦茶ハイが出ている、いや(出てると書くと誤解を招くかもしれない)、超高域方向に伸びている。
これを一番感じましたね!。

つまり、、、

こういうことです。

こういうことです。

こうじゃなく、

こうじゃなく、

こうです。このグラフは数値含めあくまでイメージです。

こうです。このグラフは数値含めあくまでイメージです。

シライさんが掲げてる製品のコンセプトは、PA等を使わないアコースティック環境でいかに良いサウンドであるか。
という事だったと思いますが、


なるほどです!


超高域のハイ成分というのは一番吸われやすい音成分で、会場の環境とかにも吸われますし(もちろん反響することもありますが)、ステージ上の楽器の他の音成分に吸われるというか、マスキングされるのです。




そこが充分に(グラフの右方向に)伸びているということは、他の楽器に埋もれた時にトーンの艶やかさやヌケが保たれやすい、という事なのですね。
ましてやそのハイ成分をPA的に補完できない環境で使用するとなると尚更です。

この潤沢なハイ成分というのはkeetの豊かに伸びるサスティーンと相まって、他の楽器と混ざった時に「太鼓らしさ」「太鼓の音の素晴らしさ」そして「プレイヤーの意図する演奏」をお客さんに伝える大きな手助けをしているのですね。


江戸前的に最も驚いたポイントはこれです。

まるで『耳クソが取れたかのように伸びるHIの気持ちよさ!』

これにつきます。



ある意味真のハイレゾともいえる、かも知れない。



最後にドラマー紺野智之さんのジャズトリオ「wraptics」の演奏でkeetのサウンドをお聴きください。
アンサンブルの中での艶やマスキングとかの意味を少しは感じていただけるかと思うんです。

シライミュージックの白井としみつさん、紺野さん、オルガンの西川直人さん、ギターの鈴木大輔さん、
ありがとうございました!
皆さん夏バテに留意してくださいね!

以上初出 2015 . 7/22 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

というわけで、keetの音は過去のBLOGに書いた

いい音その1   http://www.edo-mae-recordings.com/blog/2017/6/7/k5lygi2z33scthdrmv8ah3n3a1o4i7

に当てはまり、さらに

いい音その2  http://www.edo-mae-recordings.com/blog/2017/6/8

で述べてる内容にも近く、さらに

いい音その3  http://www.edo-mae-recordings.com/blog/2017/6/13

そのものであると言えましょう。

※このkeetの楽器の特性についての考察を補完し、さらに理解をしやすくするBLOGも近日中にUPしますね!!!(2017 . 7/5 エドマエさん)

 

 

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Erinne Scarlet 発売!

こんにちは。ブログ「いい音とは」シリーズいかがでしたでしょうか?ここで、江戸前プロデュースCDのお知らせです。

 

「時間をかけて丁寧に作られた12味のオリジナルラヴソング。結局全部好きになった。嫉妬するくらいイイ。

久住昌之

(マンガ家•音楽家、「孤独のグルメ」作者)

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去年の秋から8ヶ月掛けて12曲を収録した吉祥寺在住のJシャンソンのピアニストでシンガーソングライター、藤木えり-ErinneさんのCDが先日発売になりました!今時ホントに贅沢に完全生録音を拘り抜いた作品です。

 

江戸前といえばまずは絶対妥協のないドラムですが、元judy and maryの五十嵐公太さんや今若手ロックドラマーNo.1の黒猫チェルシーの岡本くん、はたまたもちろん江戸前ループからの神田リョウまで、総勢5名の全くスタイルの異なるドラマーを江戸前にて完璧なサウンドで収録!(ミックスのアプローチも多彩に)

 

グランドピアノを含めた他の全てのパートはなんと全てErinne本人の自宅スタジオにてレコーディングしました。(←江戸前より広いという(笑))

 

ドラムのキットマイクにはもちろんですが、それ以外のほぼ全てのパートもリボンマイクのみで収録しているというアグレッシブさ。(歌数曲の弾き語り同時録りのみBeta57を使用。また、パーカッションなど同時に本数が必要なモノは他も使用してますが。)

 

とまぁ、エンジニアリング的にも地味ーに挑戦的な事をやっております。

 

他総勢参加ミュージシャン24名、ストリングスパートの皆様や世界的なアコーディオン奏者の桑山哲也さん、薩摩琵琶の水島結子さんまで参加頂き、また、江戸前さん必殺クイーン並みの多重コーラスも各曲で聴けます(笑)。なんとまぁ変幻自在なサウンドになっていますこと。

 

特に神田リョウのEDOMAEループを贅沢に使用したトラックはかなり最新で濃厚なローエンドでDoopなビートトラックです!自画自賛

 

アレンジはもちろん、エレクトリックベース全曲(モータウンサウンドから5弦フレットレスまで)、多重コーラス、ストリングアレンジ、録音ミックスマスタリング果てはジャケットデザインまで「全て」やらせて頂きました!

Erinneは国立音大でピアノ(主にフランス印象派モノ)を学び、その曲作りにはその和声感が多く活かされ、また彼女はクリスチャンですがメロディーやアレンジにもかなりポップナイズされたカタチでその精神的な影響を散りばめました。特にコラール調なコーラスですね。

同じく僕の完全プロデュースの琵琶バンド、YUIKO MIZUSHIMA AND THE BIWA INSTITUTIONは仏教的世界観を具現した曼荼羅のようなサウンドでしたので、それとは全く違うサウンドになっています。江戸前さん仏教からキリスト教まで振り幅広っ。

そういうこともありセットで是非みなさんに聴いて頂きたいです。

 

今時めずらしいプロダクションやスポンサー無しのガチの完全自主製作のErinneさん。お金掛かってますよー。スタジオ代ほぼゼロなのにかかわらず(自宅スタジオだから)。しかし、サウンドはもとよりアレンジからミュージシャンの選定、ミックスマスタリングまで妥協一切なしで、一聴してゴージャス感が溢れてます(笑)(そういう風に作った)。

 

彼女の一生涯に渡って自信持って売り続けることのできる「稀有な音楽作品」となりました。是非みなさんお買い上げ下さい!(笑)

 

なお、発売はあえて全国流通をさせておりませんのでお買い上げはこちらからどうぞ。

 

https://erisong.thebase.in/items/6912609

 

7/29には黒猫チェルシーの岡本くんを迎えレコ発ワンマンも決まっています!

 

「いい音の5パターン」の集大成なErinneのScarlet、気になる方は要チェゲラッチョ。

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いい音とはその5とまとめ。

いい音を探る旅最終章。

4回にわたりまして考えてきた「いい音とは何か?」

今回はひとまず最終回です。

いい音のおさらい

自然界のゆらぎにあふれた「自然音」。

ひたすらハイスペックに拘った「高品質なオーディオ音響特性の音」。

「素晴らしいその楽器としての音色」。

「その音楽にふさわしい場所や状況を想起させ、その音楽が最も美しく聴こえるように処理された音」

この四つをみてきましたね。

最後「いい音とは」の総まとめ的な「いい音その5」

それは

「あなたが好きな音、目指す音、欲しい音」

です。

IMG_4543.JPG

特にレコーディングやミックスという事に限定していうと全くもってこうなるとしか言えませんし、それが結局一番尊い。。。

みんな好きな音にしたくて、自分の奏でる音が一番素敵にかっこよく、アグレッシブに聴こえるように作品を仕上げたい。また、大好きなあのCDの音のようにしたい。

そういうのがあるはずです。

それが「いい音」。

ただし、この各人がそれぞれ持っているいい音というのは本人の経験によってどんどんアップデートされてゆきます。

たとえば僕なんて小学3年くらいに音楽に目覚めたのですが、家のオーディオのアンプを低音-10高音+10(つまり振り切りのキンキンスカスカ)にしたのが一番いい音で気持ちがいいと思ってました(笑)。

また、ベースなども弦が新しくてマーカスミラーみたいな音が最高で、ジェームスジェマーソン?なにそれ音わる。汚!って思ってましたし、

スネアのダスってのやバスドラのドーンて音も「だっせーーー!」スネアはやっぱスパンスパンいっててキックはバチバチタイトなやつ最高!←ありがちすぎる。

と、思ってましたもの。(笑)

今はそんなことは思いません。というかそういう音の良さも経験的にわかるけどもそれだけではないし、むしろその音なんてドラムのいい音の数パーセントにも満たないと思うわけです。

つまり「その音がいいという気持ちは良くわかります」

という感覚。(笑)

ただ、世の中の色々な音楽や表現、様々な演奏家ミュージシャンに接するにつれ、いい音というのは沢山あって、しかし、大海原から一本のボトル、そういい音の入ったボトルを探すくらい大変でもあるという事に気がついたわけです。

それを探す事が演奏家やクリエイターにとっての自分探しでもあるし、表現活動でもあり生涯追い求めることであるのだろうと。

先に提示した4つの「いい音」はあたりまえの常識的な考察でしかありません。

あとは、自分の音楽にとっていい音とは何か?どの楽器をどう奏でるべきでどうそれを身につけるか。

そして、レコーディングするならそれをどう録ってミックスすべきか、プロデューサーやエンジニアにどう伝え理解してもらうべきか、そしてまたそれを伝える訓練だったり感性を磨く事ができるか。

そこに最後はたどりつきます。

なので、いい音が何かわからなければ、手っ取り早くは最初の4つを見つけて聞き込み(なんなら教えます(笑))、

さらに5つ目の自分にとってを探す旅にで出掛けましょう。

先の4つについてはものの半年もあれば理解出来るはずです。

「真のいい音というのはその四つの複合体なのですよ。」

そして、その4つを理解できていようといまいと江戸前さんといい音を徹底的に話し合い、議論し、試行錯誤して一つの曲いや、作品を作ってみませんか?

売れ線な音、売れ線な処理、流行りの音像、「音というのは」それだけではないと思うよ、

と、

いう結びになるのでございます。

モノから立体まで、

ハイファイからローファイまで、

琵琶からロック、ジャズ、クラシック、メタル、歌謡曲まで。

幅広い様々ないい音があるよー!

一緒につくろう!

(笑)

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メタルのキックのヒント!

エドマエの考えるいい音シリーズ、NO.5はただいま執筆中であすにはUPします、が、ここでお茶を濁す訳ではありませんが、ひとつバスドラサウンドのヒントを。

 

幅ひろーく『メタル』という場合の基本のキックサウンドは、アタック感と分離そしてローのタイトさでしょう。それと実はもう一つのポイントがあり、それは「バスケットボールサウンド」と呼ばれるトーンをどれだけ生かすか!というのが大事であると言う事です。 
バスケットボールサウンドとは某メーカーの方がたが使ってる用語ですが、ノーミュートの時にマイクを穴から突っ込んだ場合に得られる独特の筒内反射によるトーンの事をさします。(マンホールの中のそれ)

一般のジャンルのキックサウンドではむしろ汚いサウンドになってしまう事の多い「要素」なのですが、一部の特徴的なメタルのキックには不可欠な音色で、ただミュートしてアタック出して分離良くしたのでは得られない深みを出せます。

ただし、このバスケットボールサウンド、ミュートとは相反するので、かなりの精密なチューニングとセッティングが必要になります。
ヘッドの選定ももちろんですが、ビーターの選定など重要ポイントは多いです。
ちなみにツーバスはツインペダルワンバスのほうがいいとも言われますね。
チューニングの左右誤差を無くす意味もありますが、次ショットした時に直前の音が確実にミュートされますから。

topマイクの立て方も重要です。被りすぎずしかもバスドラの艶の部分はしっかり押さえなくてはなりませんし、低域位相も難しい問題です。

mixで単にアタックと分離だけに拘って事後処理をしただけでは到底あのような音にはならないですね。(江戸前としては、ここはあえて『音源sampleを貼付ける手法』は無視していますが。)

結局元音。コレに尽きるのが生ドラムの醍醐味ですね。

(音を差し替えるのがもの凄く一般的ではありますが。このジャンルは。ソレがジャンル感と時代感、だと思いますけれども。)

初出 2014.6/10
 

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ピーキーな痛い音って何?ドラムをヒントに考える。

コージーパウエルの遺品のset........

コージーパウエルの遺品のset........

打楽器に限らず「音を鳴らすための物体」にはその振動の限界値というか飽和値ってのがある気がします。ベースでもこれ以上強くピッキングしてもあとは音が引っ込むだけみたいな限界点。

例えば、ドラムのショットやピッキングを『コンクリートに鉄球を当ててどれくらいの力でぶつけると、振動音だけの状態を越えてコンクリートが破壊されるのか?』と考えてみましょう。
楽器にも実際に破壊はされずとも振動の限界値がある。それは振動体としての限界値かもしませんし、それを拾ってる側のマイクやピックアップの限界値かもしれませんし、耳の限界値かもしれませんが。
簡単に言うとそれぞれ楽器には『鳴らし切る』為の適性な強さってのがあるわけです。ドラムでいいますと、その楽器の振動特性に対してどんな強さでどう叩くかでサウンドが決まってきます。

そこらへんがなんか実は色んなドラムメーカーの個性というか、特性のモトなのかなと最近思い始めました。例えば、泣く子も黙るソナーなどは音がデカく、パワーへの柔軟性も広い印象ですね。
ただしそれも適性なショットをしなければ生きてこない部分もある。様々なメーカーの色んな機種、しかも色んな状態のモノの適性を瞬時に判断して、ふさわしいショットで叩いてるドラマーさんが常にいい音を出してるのかな?と思います。
楽器はちがいますが、持ち運びが不可能なピアニストなどはその最たるものでしょう。
(ベンフォールズは持ち運んでるってか?ホロビッツは持ち運んでるって?知るかwww 次元が…..w)

どこかにピークのある特性のスネアがあるとすると、そこを越えたとたん耳やマイクではそのポイントから歪み出しますから、ピーキーなスネアほどショットに気をつけるべきなのかな?と、ドラムを完全客観視できるドラムを全く叩かない僕などは、意外とドラマーさんを見ていて聴いていて、感じるポイントでもありますね!
例えばキンキンカンカンでスカスカな感じの音なスネアがあるとして、それはもしかしたらもっと優しいショットの方がいい音がするのかもなー、と思ったり。
そのへんの見極めがドラマーさんには大事なポイントなのかも、しれません。

とにかくスネアでもシンバルでも手に返ってくる感触といいますか、身体感覚的な『叩いてる感』だけで叩くのは危険です。
また、多くのドラマーは耳の高域が落ちてるはず。耳の悪い人は音色バランスが崩れていてやたらHIを上げたがったりしますが、スネアやシンバルの好みの傾向も、そういった要因が間違いなくあると見ています。

それは全くドラムを叩けない叩かない僕であるからこそ言える部分だ、という勘違いした自負に襲われているわけです(笑)

初出 2014 6/12

 

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いいおっぱい間違えた音その4

いい音。

 

どんなアマチュアバンド•アーティストでもトップアーティストでも、いい音のCD作品を出して欲しい。その為にならなんでもする!

というスタンスが江戸前さんなのですが、

それではいい音ってなんやねん!

 

その4。

このあたりが山場となってきます。

 

前回は「その楽器の音としてふさわしく、気持ちの良い音」というのを考えましたが、やはり「いい音」を考えた場合、音とはもちろん自然現象や物理現象ではありますが、音楽である以上それらは「美的現象、表現現象」なわけです。

 

どんなに立派でスペックのよい楽器を持って来ても、最新の高精度な録音機器を持ってきても、

 

「音楽として良くなきゃ意味ない」

わけです。

 

つまり、いい音その4はまぎれもなく

「音楽的に素晴らしい音、ふさわしい音」

になります!

 

例えばビートルズの音が「今時の音で超ハイファイで、リンゴスターの音も凄い分離感が良くて。。。。」

というのを想像してみて下さい。

 

なんか違うくない?と(笑)

 

もちろん何十年もその音でみんな親しんで来たわけだから、もし昔からそういう音だったならそれはそれでよかった、ともなるかもしれませんが。

 

しかし、ビートルズがあのようなレコーディング方法を採り(それしかなかったとも言える)、また色んなレコーディング方法を発明し試行錯誤してあのような美しい音像を作りあげた。そしてそれはとても自らの音楽にぴったりの最高に「音楽的な音」であった。

 

と。

 

そういう偶然、いや必然がビートルズだったり沢山の音楽を名作たらしめていることに異論はございますまい。

 

つまり、その音楽にとってふさわしい音質ってのはやはりあって、もちろん高級オーディオで聴く演歌も素晴らしいですが

「有線」で聴くのもいいですし、AMラジオなんかで聴くのなんてとても美しいと思いませんか?

深夜に終電逃してほろ酔いでのるタクシーのカーラジオから流れる前川清。

 

いや、石川さゆり、いや、aiko、いやワンオク。。。

 

なんでもいいんですが。

 

 

話しが脱線して「録音」ではなく「再生」環境の話しになってしまいましたが、音楽にはその音楽にふさわしい音質や表現があるということです。

 

それは専門的に言うとマイキングだったりミックスだったりマスタリングだったりにもちろん繋がりますがね。

 

前もいいましたが、沖縄民謡に教会のようなロングリバーブがかかってたら(かけてもいいよ)かっこよくないですしやはり、白鳥の湖の有名なオーボエのメロディは畳の部屋みたいな響きでは聞きたくないもんですよ。

A Man with his Shamisen Guitar by Raymond Marquez on 500px.com

 

それはオーディオスペックとかそういう次元ではなく、音楽や楽器の音というのは「ふさわしい音環境」ありきで成立するということです。教会音楽とかバッハとかはああいう響きがあったからこそその和声や表現が生まれたと言っても過言ではないでしょう?

 

そのふさわしい音環境が音楽そのものと結びついて音楽家の表現に直結していて、芸術を補完し支えている状態が「いい音」であり、それが充分に収録されてるのが「いい音のCD」ということになると

 

思われ。

 

今日はおっぱいネタなし!

ごめんなさい。

 

※誰に謝ってんねん

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いい音って?その三

​音を求め美を求め彷徨う。

音場放浪記の江戸前です。

さて、日にちが若干空きましたがいい音とはなんぞ屋の3回目。

いい音カテゴリーの三つ目は

「楽器の音として素晴らしい音」です。

ドラムでもピアノでもそれぞれの楽器をやってる方なら好き嫌いあれどその楽器の「いい音悪い音」というのは痛い程よくお分かりかと思います。

まさにこの事です。

※「いい楽器かどうか」はまた別の要素が絡みますよ。

特にドラムなどは楽器やチューニングでかなり音色のバリエーションは幅広いわけですが、ジャズのドラマーですら例えば全然サウンドの方向性の違う「メタル(ヘビメタ)のドラム」についてもその良し悪しはきっとわかるかと思います。

つまり、ジャンルを飛び越えて誰にでもいい音だーって思える楽器の音。

それが三つ目のいい音ですよ。

ドラムなら、ピアノなら、バイオリンなら、三味線ならこうあるべきだという歴史に紡がれて今良いとされる音、そのものが「いい音」かと思います。

それはうん百年前の億単位のストラディバリウスと10万の入門用バイオリンを「ブラインドでどっちが好きか?大会」とかでみんながわかってしまうレベルの「音の良さ」というやつですね。

ただ、もちろん高いからいい音とは限らないし、また逆もしかり。

価格や見た目やブランドにはとらわれない、ネット情報やステマにとらわれない「自分の耳で聴いて」ほんとに「いい音色だぁー。この楽器好きになっちゃうぅー」ってパワーのある「楽器の音」これは、誰がどうあがいてもいい音と言わざるをえないでしょう(笑)

全く興味ない人もいるでしょうが。

ここでまた無理やり無理やりおっぱいネタにと思いますが、かなり無理がありまして(笑)

例えると、人種が違えど御国が違えど文化や服装が違えど「綺麗な女の人だなー」ってだれが見ても思う状況、みたいなものでしょうか。

京都先斗町 歌舞練場に急ぐ京舞妓

京都先斗町 歌舞練場に急ぐ京舞妓

 

ちなみにそういったいい音というのは必ずしも「高性能な録音状態とハイスペックなオーディオでなくては聞けない」という事は一切ないのです。(つまり、必ずしも「いい音その2」を満たしている必要がない」という事になります)

↑ここ一番大事。

 

 

AMラジオ(音こもってんなーおい)でもそれは伝わりますからね。

 

この辺はいい音その4に繋がります。

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『いい音』って?その2

神を探す行為とまで言われる『いい音』探求。。。(笑)

江戸前さんの考えるいい音その2を発表しましょう。

 

それは!

「オーディオ測定的な意味で周波数特性の優れた音」

です。

 

これまたまあ難しい話しなのですが(笑)低い音から高い音までまんべんなくストレートに濁りなく出ている「再生環境や録音状態」を指すといいましょうか。

 

「低い音から高い音までまんべんなく出てる音」だとするとホワイトノイズになっちゃうので(笑)(FMラジオのザーーーーみたいなやつ)。

 

つまりまぁ、録音状態としても再生環境としてもとにかくオーディオマニア的スペックな意味で高品位であるモノです。(オーディオマニアの気持ちはわからん!とかはまぁ言わずに。カメラマニアの気持ちもわからんでしょうが、高画素で写りがシャープで色の表現も満遍なく美しいカメラやレンズでみたいな)

 

デジタル録音でいうと96kとか192kとかナントカbitとかも関係しますし、周波数特性の広いマイクを使ったりしなきゃならないし、音に癖のあるスピーカーだとちょっと違うかもしれませんし。。。。

 

そこを追及してくと、

スピーカーケーブルは高級でなくてはならないし、しっかりした土台の上に機材を設置しなくてはならず、電源はピュアでなくてはならず、電柱を自分で所有し電力会社を吟味し、、、、。

 

と、どっかからはカルトな世界になっちゃうんですが(笑)

 

少なくともiPhoneのイヤホンは低いところと高い所は出ておりませんし、

AMラジオは音が曇ってますし、

 

ようするにそういうのとは真逆の「スカッとヌケのある」「しかしギラギラと痛くない」「低音も豊かで」「キレも良く」「歪みのない」、そういった状況で収録され、再生されてる音ですね。

 

ハイファイだなー!ハイレゾだなぁ!って感じで表現される音です。

(笑)

なんとざっくりとした、適当な解説!

 

ここで恒例の無理矢理オッパイネタですが、オッパイに例えると、細かい好き嫌いや好みは別にして「誰もがすごいなー、綺麗だなー、◯◯なー」と一定の理解が得られる「カタチ」のそれだと言えなくはないでしょうか。。。

Serenity by Maxim  Guselnikov on 500px.com

う〜〜〜むoppaiもろのやつは貼付けできないってことが発覚 (笑)

 

 

ただし、問題はその高品位である「音の録音状況と恵まれた再生環境」

で、何を聴くのか?

というところにいよいよ突入してくるのです。

 

だんだんスペックではなく美学の問題になっていきます。

 

つづく。

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『いい音』って。。。。その1

いい音とは何か。。。

「それは殆ど神の存在について考えるのに等しい。」

それはそれはどこぞの伝説のエンジニアが言ったとか言わないとか。

 

日常生活において普通の人がいい音!って感じるのはどんな時かな?

ワイングラスが「チーン!」とかビアグラスが「コワァーン」とか?(笑)

いい音について日頃考えているのに全く思い浮かばない。なんと恥ずかしい事だろう。。。(笑)

 

科学的生理的な研究分野では「ゆらぎ」がある音が人に安らぎを与えるといわれています。

音ではないけどmacのスクリーンセーバーとかでなんとなく飽きずにずっと見てられるやつとかあるでしょ?単調だけどランダムな。それの音バージョン。

いい音について考えるとき、それは人間の生理とは切っても切れないはず。聴覚という「生理現象」に立脚する芸術だから。しかも視覚のようには簡単にキャンセル出来ないところもより原始的であると思います。もしかして生物の進化過程においては視覚よりも聴覚が先に生まれたのかもしれない。

そうなるといい音の秘密や鍵はやはり自然に隠されている気がしてきます。

森にはマイナスイオンが出てるとよく言われるけれど、「ソヨソヨ」「サヤサヤ」なんてのは「ゆらぎ」に溢れた癒される音だし、浜辺の波の「ザザー」という音、虫の合唱、遠くに響く野鳥の声なんてのも人間が人間という生き物である限り「生理的に」気持ちいい、いい音と感じる「音」なのでしょう。

それはオトコならおっぱいに憧れるのと同じ「生理的現象」。母親の愛の象徴でもあるし、父親になるだろうオトコが求める愛の象徴なのだ。

Mother breastfeeding newborn baby by photoalto on 500px.com

脱線失礼しまそた。

ま、とりあえずまず、いい音とは一つ目に「この自然の音」だと僕は思うわけです。(かなりむりやりオッパイを絡めてきたな。。。)

ところで、江戸前さん的には音楽について考えるとき、いい音とはあと4つに区分出来きると思ってます。

つづく

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あなたがいい音と思っている音は間違っている!???!

僕は職業柄といいますか、性癖柄といいますか、つねに『音』と『音楽』について考えている気がします。もうめんどくさいし嫌なんですけど(笑) 。

しかし『良い音楽』はもとより、『いい音』すら定義がはっきりしません。人によって千差万別。

実は、今日より数回に分けて『いい音』の正体を探って行きたいと思っているのですが、その前に約3年前に旧BLOGにて書いた内容をre.POSTしてみようかと思います。明日以降UPする本編と重複するところもあるかと思いますが、まぁ御参考までに。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

あなたがいい音と思っている音は間違っている!

レコーディングエンジニアの都合というか「エゴ」で言うと、楽器の録音というのは最もその楽器のいい音がするポイント、鳴ってるポイントを狙うのが一つのセオリーではある。しかし、たまにこれは落とし穴である場合があるのだ。


なぜなら、そこに奏者の耳はない。ということ。


つまり、奏者がいいと思ってる音と第三者がいいと思ってる音に乖離がある可能性が高い。ドラムなどは最もその差が大きいといえよう。ドラマーと第三者の耳の位置は多くの場合真逆とも言える関係にある。そもそもドラマーはスネアの真上の至近距離に耳があるので、その音量と音圧により聴こえ方が歪んでる可能性があるのだが(その歪んでる状態がドラマーにとって普通過ぎになっているかもしれないが、その可能性は大きい。ただでさえ側で聴いていて音がデカすぎて苦痛ですらあるから)、しかし、それが演奏トータルで見た場合重要な「聴こえ方」である可能性が高い。なぜならその「聴こえ」が全ての演奏バランスの基礎となってるからだ。

タブラでもジェンベでも、意外と打楽器奏者自身は我々第三者以上に楽器のアタック感とハイの抜けを注視しているようだ。双方ものすごく低音が出ている楽器なのだが、奏者自身の位置ではハイの聴こえの方がバランス上大きいのである。
だから録音に於いても、再生されるそのハイの質感や量、音色を非常に気にする。楽器そのものの音色の判定にももちろん関わるだろう。

同じようにアコギでもバイオリンでもクラリネットでもフルートでも琵琶でも尺八でも、奏者がどう聴こえてるのか?が、録音する際の大きなヒントというか、道しるべとなる。

最も奏者と聴く人の条件や耳の距離が異なる『梵鐘』。叩く人は至近にあり、聴く人は遥か山を越えることすら、ある。新緑の奈良県宇陀市室生寺梵鐘

最も奏者と聴く人の条件や耳の距離が異なる『梵鐘』。叩く人は至近にあり、聴く人は遥か山を越えることすら、ある。

新緑の奈良県宇陀市室生寺梵鐘

決して「ここで聴くと一番いい音がします。」で、マイクの位置を決めてはいけない。多くの場合(たまに)、ん?という顔をされる。
加え、レコーディングではその楽器奏者自身がどう聴こえているのかだけではなく、楽器そのものやその音楽の成り立ちもしっかり理解しなくてはいけない。
わかりやすく言うと、沖縄の古民家の縁側で静かに弾いてこられたであろう三線のCDに、極端なリバーヴなど本来はありえないのだ。
沖縄民謡って教会で演奏されてきたのか?(笑)
もちろん制作上の意図であれば別だが。
これは極端な例ではあるが、このように、「この楽器とはなんなのか?どんな音なのか?」というのは、単純に「いい音、素晴らしいサウンド」であればOK!などという簡単なモノではないのだ。

しかし、かと言って全ての楽器について深い造詣を得るのは非常に難しい。
だからこそエンジニアはマイクや機材に向き合ってはいけない。
しかもまずは楽器自体に向き合う前に、奏者自身と音楽に向き合うべきだ。
現場で若いアシスタントと新しいプロツーのバージョンの音の違いなどという些細な事を話してる暇があるなら、様々な奏者と雑談でもして、少しでもこれから録音する音楽についての情報と、楽器の音を引き出すべき。

江戸前ではご存知のとうり、ドラムについてはそこを徹底的にやっている。
しかし、可能なら全ての楽器と音楽についてそのアプローチを取りたいと常々考えている。

いい音である前に、いい音楽になっていなくては話しにならない。
音を伝えるのではなく音楽を伝えねばならない。ましてやマイクの特性やプラグインの個性を伝えてはいけないyo。
 

初出2014年6/13日

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「隠された」才能

世の中には物凄い才能や表現力に溢れてるのに日の目を見てない演奏家やアーティストってのは沢山いるとおもいます。あぁ嫉妬するぜ。とにかくその才能に。。。

しかし!それら才能に溢れてるのにCDを出した事のない人、大勢の人の前で演奏する機会を未だ得てない人など。いや、ライブすらほとんどやらない人というのもいるでしょう。

チャンスに出会うのも才能とも言えますが、むしろそういうチャンスから意図して離れるようや孤高の人もいるかもしれない。

山奥にひっそりと潜む美しき「才能」。奈良県宇陀市室生寺にて

山奥にひっそりと潜む美しき「才能」。奈良県宇陀市室生寺にて

しかしそれはやはり世の中の共益という意味では「もったいない」と言わざるを得ない。

また、そういった才能を放置するカタチになってる業界にも何か問題があるのかもしれないし。

 

例えば大手財団がやるような「メセナ活動」なんてのもジャンルやその援助する演奏家やアーティストの選定方法において問題がある事も多いと聞きます。 

 

レコーディングというものについても、そういった才能があるのに「CDを作るチャンスもなく、作るという発想すらない」という人もたまに見かけますが、ほんとにもったいない事ですよ(笑)。特にCD産業に取り残されたような大きな売り上げを端から見込めないと断言されてしまってるような状況のジャンルの人たち。。。

 

伝統音楽の世界の人たちにそういった状況が多い気もしますし、ひたすら自分を磨くことだけに集中している「唯我独尊天才タイプ」の人もいるでしょう。

 

最早そんな方々がこのわたしのブログを読んでるとも思えませんが、そういったレコーディングとかCD制作について全く知識がないアーティストの方、また、CDを作るなんて思ってもみた事がない方々。

 

そんな人のチカラにわたしは、なりたい。

 

是非江戸前レコーディングスまでお気軽にご相談ください。

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